病院や医療法人の売却・承継を考えたとき、理事長や院長が最初に気になるのは「いくらで売れるのか」という価格の問いではないでしょうか。しかし実際には、売却価格は売却の時点での経営状態によって大きく変わります。どれだけ長い歴史を持つ病院であっても、経営が悪化した状態のまま売りに出せば、思うような評価を得られないのが現実です。
帝国データバンクの調査によると、2025年は医療機関の倒産が66件、休廃業・解散が823件に達し、2年連続で過去最多を更新しました。四病院団体協議会の2024年度病院経営定期調査(最終報告)では、医業赤字の病院が全体の74.6%、経常赤字が**65.6%**という深刻な実態が明らかになっています。また、医療業における後継者不在率は6割を超えており、このまま何も手を打たずにいれば廃業・倒産という結末を迎えかねません。
このような環境のなかで、できるだけ高い価格で病院を次の世代や組織に引き継ぐためには、「売ると決めてから動く」では遅すぎます。**承継の3年前から計画的に経営改善に取り組むことが、売却価格の最大化に直結します。**本記事では、財務・病床利用率・人材・診療報酬という4つの軸から、承継前3年間で取り組むべき実務を詳しく解説します。
なぜ承継前の経営改善が売却価格を変えるのか

病院・医療法人の売却価格は、主にEBITDA(税引き前利益+減価償却費)の倍率、あるいは**将来キャッシュフローの現在価値(DCF法)**によって算定されます。いずれの手法においても、「直近3期分の収益力」が最も重要な判断材料になります。買い手側の専門家(M&Aアドバイザーや公認会計士)は、過去の決算書を徹底的に精査し、持続的に収益を生む力があるかどうかを見極めます。
帝国データバンクが発表した2024年度の民間病院経営動向調査では、約900法人のうち61.0%が営業赤字(前年度は54.8%)という結果が出ています。赤字が常態化しているなかで、黒字を維持または黒字転換した病院の希少性は増しており、それだけで交渉を優位に進めることができます。
また、売却価格を高めるうえで忘れてはならないのが「のれん(超過収益力)」の概念です。収益を安定的に生み出す診療体制、地域に根ざした患者基盤、定着したスタッフ——これらは財務諸表には現れにくいものの、買い手にとっての大きな魅力です。これらの「のれん」を育てるには時間がかかります。だからこそ、承継3年前からの計画的な経営改善が不可欠なのです。
さらに、医療機関の倒産・休廃業解散が2年連続で過去最多を更新しているという事実は、「早く動いた病院が選択肢を持てる」ことを意味します。財務が悪化すると、選べる買い手の数が減り、条件も悪化します。余裕のあるうちに準備を始めることが、結果として理事長・院長にとって最善の結果をもたらします。
財務の磨き上げ — 3期分の決算書が交渉のカギ

M&Aの実務では、買い手側は必ず過去3期分の決算書を精査します。この3期分に「改善の軌跡」が見えるかどうかが、価格交渉の起点になります。単発で黒字化した1期があっても、それが継続性のある改善なのか、たまたまの変動なのかを判断されます。3期にわたって右肩上がりの収益改善が確認できれば、買い手の安心感は格段に高まります。
まず取り組むべきは、不必要な経費の見直しです。院長・理事長の個人的な支出が医療法人の費用として計上されていたり、親族への不透明な役員報酬が含まれていたりするケースは、デューデリジェンス(買収監査)で必ず発見されます。これらを整理することで、EBITDAは実態以上に低く見えていた状態から適正な水準に戻り、評価額が上がります。
次に重要なのが、関係会社との取引の整理です。グループ内の不動産会社や管理会社への賃料・手数料が市場価格から大きく乖離している場合、買い手に「隠れたコストがある」という印象を与えます。承継前3年間で取引条件を見直し、適正化しておくことが必要です。また、病院の土地・建物が理事長個人名義になっている場合は、法人との賃貸借関係を明確に書面化しておくことも欠かせません。
さらに、借入金の圧縮も評価に直結します。設備投資のための長期借入が残っている場合、売却後の財務的な自由度に影響します。必要な医療機器・設備は残しつつ、不必要な借入は早期返済の計画を立てましょう。また、資金繰り表の整備や月次試算表の作成・管理を習慣化しておくことで、DDの際に迅速に資料提供できる体制が整います。
| チェック項目 |
確認の視点 |
優先度 |
| 過去3期分の決算書 |
黒字化・改善の軌跡が見えるか |
高 |
| 個人的支出の分離 |
役員報酬・経費の適正化が完了しているか |
高 |
| 関係会社取引の整理 |
市場価格との乖離がなく書面化されているか |
中 |
| 借入金の残高 |
売却後の財務自由度に影響しないか |
中 |
| 不動産の名義・賃貸借 |
理事長個人 vs 法人名義の整理と書面化 |
中 |
また、自己資本比率や流動比率といった安全性指標も、買い手が重視するポイントです。医療法人では剰余金の積み立てに制限がありますが、内部留保の充実と財務健全性の確保は、長期的な経営継続性の証拠として評価されます。特に大手病院グループが買い手になる場合、財務的な安定性は交渉条件に大きく影響します。
財務の磨き上げは、経営コンサルタントや医療専門の税理士と連携して進めることを強くお勧めします。専門家の目を借りることで、自院では気づかなかった改善ポイントを発見できることが多いものです。
病床利用率の向上 — 1ポイントが年間3,650万円の差

病床利用率は、病院経営の「体温計」ともいえる最も直接的な収益指標です。厚生労働省の病院報告(2024年)によると、全病床の全国平均利用率は77.0%、一般病床では73.3%にとどまっています。病院経営の損益分岐点は一般に80%前後とされており、全国平均は損益分岐点を下回る状況にあります。
重要なのは、この「1ポイント」が持つ経済的な重さです。たとえば200床規模の病院で入院単価が1日あたり5万円の場合、利用率1ポイントの向上は年間で約3,650万円の増収に相当します(算出式:200床 × 0.01 × 365日 × 5万円)。3ポイント改善できれば約1億950万円、5ポイントの改善で1億8,000万円超の増収効果があります。これはそのままEBITDAの改善に直結し、売却評価額に大きく反映されます。
利用率を高める具体的な施策として、まず地域医療連携の強化が挙げられます。地元の診療所・開業医からの紹介患者を増やすために、地域連携担当者の専任配置や定期的な訪問活動が有効です。「かかりつけ医」との関係構築は、安定した入院患者の確保につながります。
次に、退院支援・在宅復帰支援の充実も重要です。適切な退院計画と地域連携パスの整備によって早期退院・スムーズな転院を促し、病床回転率を高めることができます。退院後の患者フォローが充実している病院は、地域の患者からの信頼も高まります。
さらに、稼働していない病棟・病床の活用方針を見直すことも検討に値します。休止病棟を維持するコストと稼働に向けた投資効果を比較した上で、選択と集中を行うことが経営改善につながります。一方で、病床削減は看護配置基準や診療報酬の算定に影響しますので、専門家の助言を得ながら慎重に判断してください。
病床機能報告制度においては、急性期・回復期・慢性期などの区分ごとに病床利用率が異なります。自院の病床がどの機能区分に属し、その区分での平均的な利用率と比較してどの位置にいるかを把握することも重要です。機能区分を明確にし、それに合わせた患者受入れ体制を整備することで、稼働率の改善と同時に診療報酬算定の最適化にもつながります。
売却前の3年間で、利用率の改善軌跡を決算書に残すことが、価格交渉での説得材料になります。「数字で証明できる改善」こそが、売却価格を押し上げる最も確実な方法です。
人件費率の最適化とキーパーソンの定着

病院のコストの5〜6割は人件費で占められています。この比率を適正水準に保つことは、収益性の観点からも、M&A後の経営安定の観点からも不可欠です。人件費率が著しく高い場合には、売却価格の算定根拠となるEBITDAが低下し、評価額が圧縮されます。
ただし、「人件費を削減する」ことがそのまま正解とは限りません。買い手が最も懸念するのは、「売却後に主要なスタッフが離職するのではないか」というリスクです。とくに副院長・部長クラスの医師や、看護部長・事務長など病院の中核を担うキーパーソンが承継後も継続して勤務する見通しが立っているかどうかは、評価に大きく影響します。キーパーソンが離職するリスクが高いと判断されれば、買い手は当然ながら価格の引き下げを要求します。
人材の定着を高めるために承継前に取り組むべき事項として、まず人事評価制度の整備と透明化があります。評価基準が不明瞭な職場はスタッフの不満が蓄積しやすく、離職率が上昇します。承継前に評価制度を見直し、公平性を担保することが重要です。スタッフが「正当に評価されている」と感じる職場環境は、定着率の向上だけでなく、病院全体のパフォーマンス向上にもつながります。
次に、給与規程と就業規則の整合性確認が必要です。口頭での約束や慣例で運用されてきた部分を書面化することで、承継後のトラブルを防ぎ、買い手の安心感につながります。とくに時間外労働の扱いや当直手当の根拠が書面で明確になっていない場合、DDで問題化するケースがあります。
また、院長・理事長の個人依存の経営からの脱却も重要です。特定の医師に患者が集中している場合、その医師が退職すると経営が成り立たないリスクがあります。複数の医師で診療体制を維持できる仕組みを整えることが、法人としての独立した価値を高めます。たとえばこのような状況が典型的な課題として挙げられます——「院長が全科を一人で診ている地方の中小病院」では、院長退任後に診療継続が困難になるリスクがそのまま売却価格の減額要因になります。
親族への不透明な給与支払いも整理しておく必要があります。形式的な役職に高額な報酬が支払われているケースは、DDの段階で必ず指摘されます。承継前に適正な報酬水準に整理しておくことで、スムーズな交渉が実現します。
診療報酬算定の適正化 — 算定漏れの洗い出し

診療報酬の算定漏れは、多くの病院が抱えていながら気づいていない「隠れた機会損失」です。算定できる加算や管理料を申請していないケースは、規模の大小を問わず広く存在します。この問題は、複雑化する診療報酬体系と、それに追いつけない院内の体制不備から生じることがほとんどです。
算定漏れが発生しやすい背景には、電子カルテや請求システムの設定ミス、施設基準を満たしているにもかかわらず届出をしていない状態、あるいはスタッフ間の情報共有が不十分であるといった要因があります。また、以前に施設基準の届出をしたものの、人員配置や体制が変わってから届出の見直しをしていないケースも散見されます。
よくある算定漏れの事例としては、入退院支援加算・退院時共同指導料、栄養サポートチーム加算(NST)、感染対策向上加算、在宅復帰機能強化加算、認知症ケア加算などが挙げられます。これらは施設基準を整備し届出を行えば算定できるものが多く、承継前の改善項目として取り組みやすいです。施設により異なりますが、体制整備によって一定の増収効果が期待できます。
算定漏れの洗い出しには、診療報酬専門コンサルタントの活用が最も効果的です。外部の専門家が請求実績を精査することで、自院では気づかなかった未算定項目を発見できます。また、**診療情報管理士(コーダー)**を配置してDPC/PDPSの適切なコーディングを担当させることも、中規模以上の病院では検討に値します。
改善にあたっては、単に算定するだけでなく、半年ごとの定期チェック体制を構築することが重要です。診療報酬は2年ごとに改定されるため、改定のたびに算定要件が変わることがあります。定期的な見直しをルーティン化することで、改定後の算定漏れを防ぎ、持続的な収益改善につながります。
承継前に算定適正化を進めることで、M&A後の新経営陣に対して「適切な請求体制が整っている」ことを示せます。これは単なる収益改善にとどまらず、病院の運営品質の高さを示す証拠として、買い手の評価を高める重要な要素となります。
承継前3年間の行動ロードマップ

承継前の経営改善は、「思いついたときにやる」ではなく、3年間のタイムラインとして計画的に実行することが重要です。どの課題から手をつけるべきか、いつまでに何を完了させるべきかを明確にしておくことで、売却交渉の場で「準備が整っている病院」として評価されます。
**3年前(経営診断フェーズ)**では、現状把握と方向性の決定を行います。まず財務診断を受け、EBITDAやフリーキャッシュフローなど売却価格に直結する指標の実態を把握します。病床利用率・人件費率・診療報酬の算定実績も棚卸しし、「どこに改善余地があるか」を明確にします。同時に、M&A専門家(仲介会社・M&Aアドバイザー)に相談し、おおよその売却時期と価格感を把握しておくことが重要です。この段階では情報収集と計画策定が中心となります。
**2年前(KPI改善フェーズ)**では、洗い出した課題を一つひとつ実行に移します。病床利用率向上策の実施、診療報酬算定の適正化、人件費率の最適化、キーパーソンの処遇整理などを並行して進めます。3期分の決算書に「改善の軌跡」を残すためには、この時期の取り組みが決定的に重要です。また、不必要な設備投資は抑制し、売却後の新経営陣が負担を感じないような財務状態を目指します。
**1年前(M&A準備フェーズ)**では、実際の売却準備に入ります。仲介会社との契約締結、企業概要書(インフォメーション・メモランダム)の作成、デューデリジェンス用の資料整備を進めます。候補先との交渉が始まったら、スタッフへの情報管理にも十分な配慮が必要です。情報漏洩による職場の混乱は、まさにこのタイミングで避けなければならないリスクです。
| フェーズ |
時期 |
主要タスク |
| 経営診断 |
3年前 |
財務診断・KPI実態把握・M&A専門家への相談・負債整理計画の策定 |
| KPI改善 |
2年前 |
病床利用率改善・算定適正化の実装・人材定着策・財務整備と書面化 |
| M&A準備 |
1年前 |
仲介契約・IM作成・DD資料準備・候補先との交渉開始・情報管理 |
| クロージング |
売却時 |
最終価格交渉・最終契約締結・決済・移行計画の策定と共有 |
3年間のロードマップを意識することのもう一つの意義は、「撤退の選択肢を残せること」です。もし2年目の時点で、予想以上に経営改善が進み「もう少し自分でやれそうだ」と感じたなら、承継を数年延ばす判断もできます。逆に、改善が思うように進まなければ、それを早期に認識して専門家の支援を強化することができます。計画的に動くことは、理事長・院長自身の選択肢を広げることでもあります。
まとめ
病院の売却価格を最大化するために最も重要なことは、「売ると決めた後」ではなく、「売ると決める前から」経営改善に着手することです。財務の磨き上げ、病床利用率の向上、人件費率の最適化、診療報酬算定の適正化という4つの軸で承継前3年間を計画的に過ごすことが、高値売却への最短ルートです。
医業赤字74.6%・経常赤字65.6%という厳しい現実があるなかで、黒字経営を維持または回復させた病院は明確に「選ばれる病院」になります。医療機関の倒産・休廃業解散が2年連続で過去最多を更新しているこの時代に、計画的な承継は理事長・院長にとっての最後の、かつ最も重要な経営判断のひとつです。
一つひとつの改善が積み重なり、それが買い手にとって魅力的な「価値ある病院」の姿につながります。まずは医療専門のM&Aアドバイザーや経営コンサルタントへの相談から始め、自院の現状を客観的に把握することをお勧めします。3年間のロードマップを描き、計画的に動くことで、後悔のない承継・売却を実現してください。
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出典
- 四病院団体協議会 2025年度 病院経営定期調査 結果報告(2025年11月)
- 帝国データバンク 全国「病院経営」動向調査(2024年度)
- 帝国データバンク 医療機関の倒産・休廃業解散動向調査(2025年)
- 厚生労働省 令和6(2024)年 医療施設(動態)調査・病院報告の概況
- GemMed 医業赤字74.6%・経常赤字65.6%(四病協最終報告の解説)
- 福祉医療機構リサーチレポート 2023年度決算 病院の経営状況
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