四病院団体協議会の2024年度病院経営定期調査(最終報告)によると、病院の医業赤字は**74.6%、経常赤字は65.6%**に達しています。帝国データバンクの2024年度調査でも民間病院約900法人の61.0%が営業赤字となっており、前年度(54.8%)からさらに悪化しています。
この厳しい経営環境の中で、「何となく毎月の数字を眺めている」「問題は感じているが具体的な手が打てていない」という状況に陥っている病院が少なくありません。問題の根本には、多くの場合「PDCAサイクルが組織として回っていない」という経営管理上の課題があります。
本記事では、理事長・院長が方針を示し、事務長が主導して全部門に展開するPDCAサイクルの具体的な実践法を解説します。年次・四半期・月次という三つの時間軸で管理フローを整理し、経営改善に直結するKPIの選び方と確認会議の設計まで踏み込みます。特に「医療の専門家ではあっても経営管理の体系的な訓練を受けていない」理事長・院長・事務長に向けて、すぐに使えるフレームワークを示します。
1. なぜ今の病院にPDCAサイクルが必要なのか

病院経営を難しくしている要因は外部・内部の双方にあります。外部要因としては、物価高騰・光熱費の上昇・人件費の増加が収益を圧迫し続けています。内部要因としては、病床利用率の低下や診療報酬の算定漏れ、医薬品費・委託費の膨張が挙げられます。厚労省の病院報告2024によれば、病床利用率の全国平均は全病床77.0%・一般病床73.3%であり、損益分岐点とされる80%前後を下回っている施設が多い状況です。
こうした環境で生き残るには、「問題が起きてから考える」後手の経営ではなく、先手で計画を立て・実行し・確認して・改善するサイクルを日常業務に組み込む必要があります。PDCAサイクルは製造業や小売業では定着した手法ですが、病院では医療提供が優先されがちで、経営管理の仕組みとして体系化されていない組織が多く見られます。
PDCAサイクルを組織に根付かせることで期待できる効果は大きく三点あります。第一に、問題の早期発見です。月次で指標を確認することで、赤字が確定する前の兆候(病床利用率の低下傾向、未収金の増加、残業時間の上昇など)をつかめます。赤字が年度末に発覚してからでは手の打ちようがなくなりますが、四半期の段階で発見できれば対策の選択肢が広がります。第二に、改善策の実行速度向上です。問題を発見した後の「誰が・何を・いつまでに」が明確になり、号令だけで終わらない具体的な対策が動き出します。第三に、組織の学習蓄積です。成功・失敗のデータが積み重なることで次の計画精度が上がり、組織全体の経営力が底上げされます。
2. P(計画)— 三層の計画で経営目標を構造化する

病院経営の計画は、「年次」「四半期」「月次」の三層構造で考えると整理しやすくなります。それぞれの役割を明確にすることで、計画が「作って終わり」にならない仕組みができます。
**年次計画(毎年4〜5月に策定)**は経営の大方針です。前年度の決算分析と次年度の診療報酬改定情報をもとに、経常利益目標・病床利用率目標・人件費率目標などの年間KPIを設定します。令和8年度診療報酬改定では本体+3.09%(約30年ぶりの3%超)の引き上げが決まっており、この増収分を計画に組み込むことが重要です。目標は「病院全体」と「主要部門別」の二段構えで設定し、各部門の責任者が自部門の目標を明確に把握できるようにします。
**四半期計画(3か月ごとに見直し)**は年次計画の中間修正フェーズです。実績が計画を大きく下回っている場合は、「年度目標を維持するか・修正するか」という判断を行います。この時点で修正せずに放置すると、年度末に取り返しのつかない赤字が積み重なります。四半期レビューでは「前四半期の振り返り(C・A)」と「次四半期の計画修正(P)」を同時に行うのが効率的です。
**月次計画(毎月初旬に確認)**は実行管理の最小単位です。月初に先月の実績を確認し、当月の重点施策(特定の診療科の患者数回復、加算算定の強化、未収金回収の強化など)を部門責任者に伝達します。月次は「新たに計画を立てる」よりも「四半期計画に沿って実行する」フェーズです。
| 計画の種類 |
策定タイミング |
主な内容 |
主な担当者 |
| 年次計画 |
4〜5月(決算後) |
KPI設定・予算配分・重点施策 |
理事長・院長・事務長 |
| 四半期計画 |
各四半期末 |
中間実績確認・目標修正判断 |
事務長・部門長 |
| 月次計画 |
月初(5日前後) |
当月重点施策の確認・指示 |
事務長・部門長 |
計画を立てる際に重要なのは、「努力すれば達成できる水準」に目標を設定することです。高すぎる目標は組織の諦め感を生み、低すぎる目標は改善意識を失わせます。前年度実績・業界平均(四病協調査など)・自院の損益分岐点の三点を参照しながら、実現可能でありながら改善を促す目標値を設定してください。
3. D(実行)— 計画を組織に落とし込む体制づくり

計画を立てても実行されなければ意味がありません。D(実行)フェーズで重要なのは、「誰が」「何を」「いつまでに」を明確にした実行管理です。
事務長の中心的な役割は、理事長・院長が示した方針を具体的なアクションに翻訳し、部門責任者に展開することです。例えば「病床利用率を75%から80%に引き上げる」という目標があれば、「外来担当者が地域医師会への訪問頻度を月1回から2回に増やす」「看護師長が退院調整を入院3日目から開始するプロセスを設計する」といった具体施策に分解します。施策が具体的であるほど、実行と確認が容易になります。
実行を確実に進めるために有効なのが**週次の短時間確認会議(15〜20分)**です。月次では問題発覚が遅れますが、週次なら翌週の軌道修正が可能です。会議の形式は「先週の実績と異常値の報告」「今週の重点対応と担当者確認」「懸念事項の共有」の三点に絞り込み、長時間化を防ぎます。
実行を妨げる障壁として多いのが情報の非共有です。病床利用率・未収金・人件費率といった経営指標を「事務長だけが知っている状態」では、現場スタッフは経営への参加意識を持てません。主要指標を各部門のスタッフが見られる形で掲示・共有することで、全員参加の経営改善体制を作ります。その際、表示する数字は「自部門に直結するもの」に絞るのがポイントです。多すぎる指標はかえって誰にも見られなくなります。
一般に病院のコストの5〜6割は人件費です。人件費率の改善は単純な人員削減ではなく、業務の効率化と適切な配置転換によって実現します。「タスクシフト・シェアの推進」「看護必要度の適正把握」「多職種協働による業務再分配」といった施策は、実行フェーズで責任者を定め、進捗を追う管理が必要です。これらを「なんとなく取り組む」から「誰かが責任を持って推進する」状態に変えることが、D フェーズの核心です。
4. C(確認)— 月次で確認すべき経営指標10の視点

C(確認)フェーズでは、月次決算後の速やかな実績確認が経営管理の核心です。「決算が出るのに2か月かかる」という状態では手の打ちようがありません。月末締め後、遅くとも10〜15日以内に主要指標を把握できる体制を整えることを目指してください。
確認すべき指標は、大きく「収益面」「費用面」「資金面」の三カテゴリで10の視点に整理できます。
収益面では、①病床利用率(全体・病棟別)②入院・外来患者数(前月・前年同月比較)③入院単価・外来単価(加算算定状況を含む)④医業収益全体(診療収益+その他)の四点が基本です。病床利用率は特に重要で、200床・入院単価5万円の病院では1ポイントの差が年間約3,650万円の増収に相当します(2床×5万円×365日の機械計算)。この感覚を経営幹部全員が共有していると、確認の重要性が組織に浸透します。
費用面では、⑤人件費率(医業収益に占める人件費の割合。一般に5〜6割が目安)⑥医薬品費率・診療材料費率(使用量と単価の変動を確認)⑦委託費・光熱費(物価高騰の影響を把握)の三点を確認します。人件費率が60%を超えている場合は、残業・派遣の比率や稼働率の見直しが急務です。
資金面では、⑧医業利益・経常利益(目標との差を確認)⑨未収金残高(増加が続く場合は回収プロセスを見直す)⑩月次キャッシュフロー(運転資金の余裕度を確認)の三点です。未収金は「今月の患者数が多いから増えた」のか「回収が滞り始めた」のかを区別することが重要です。
| 指標カテゴリ |
指標名 |
確認頻度 |
アラート目安 |
| 収益 |
病床利用率 |
月次(週次も推奨) |
目標比▲3ポイント以上 |
| 収益 |
入院患者数 |
月次 |
前年同月比▲5%以上 |
| 収益 |
入院単価 |
月次 |
前月比▲5%以上 |
| 費用 |
人件費率 |
月次 |
55〜60%超 |
| 費用 |
医薬品費率 |
月次 |
前月比+2%以上 |
| 資金 |
未収金残高 |
月次 |
前月比増加傾向が続く場合 |
これらをすべて「一枚のA3管理シート」または経営情報システムの単一画面で確認できる状態が理想です。福祉医療機構(WAM)の病院経営動向調査なども参照しながら、業界平均との比較をあわせて行うと改善の方向性が明確になります。
5. A(改善)— 乖離を根本原因から逆算して優先順位をつける

C(確認)フェーズで問題が発見されたら、即座に A(改善)に移ります。よくある失敗は「問題は認識したが、改善策が曖昧なままで終わる」パターンです。経営会議で「もっと頑張ろう」という号令だけがかけられ、翌月も同じ問題が続く——この悪循環を断ち切るのがA(改善)フェーズの役割です。
A フェーズを機能させるには、**「乖離の定量化」→「根本原因の特定」→「改善策の立案と優先順位付け」**という流れを体系化することが重要です。
乖離の定量化では、目標と実績の差を金額で表します。例えば「病床利用率が目標80%に対して75%」であれば、200床・単価5万円の病院では年換算で約1億8,250万円(3,650万円×5ポイント)の収益機会の損失に相当します。このように金額化することで、改善の優先度が経営幹部・現場スタッフ双方に伝わりやすくなります。
根本原因の特定では、「なぜ利用率が下がったのか」を段階的に掘り下げます。「入院患者数の減少か・平均在院日数の短縮か・休床床数の増加か」に分解し、それぞれについてさらに「紹介患者が減っているのか・自院外来からの入院が減っているのか」と深堀りします。この分析なしに改善策を立てても、対症療法に終わります。
優先順位の付け方には「影響度×実施難易度マトリクス」が有効です。「影響度が高く・難易度が低い」施策(算定漏れ加算の回収・医薬品の後発品切替・未収金回収プロセスの整備など)を最優先に着手し、短期的な成果を出します。一方、「影響度が高く・難易度も高い」施策(新規診療科の立ち上げ・大規模施設改修など)は中期計画で取り組みます。
改善策が決まったら、**責任者・完了期限・成果指標(KPI)**を明示した「改善アクションシート」を作成し、次のC(確認)で進捗を確認します。この「確認→改善→確認」の短いサイクルが定着することで、経営改善の速度が格段に上がります。施策の効果が出たときは必ずその事実を組織で共有し、PDCAへの信頼感を醸成することも重要です。
6. PDCAを組織文化に根付かせるための取り組み

PDCAサイクルは「一度導入したら終わり」ではなく、継続的に回し続けることで効果を発揮します。導入後に失速しやすいポイントと、それを防ぐ工夫を解説します。
失速を防ぐポイント① 経営会議の「形式化」を避ける
月次経営会議が「報告を聞くだけの場」になると、A(改善)が機能しなくなります。効果的な会議の設計として、「先月の数字の確認(15分)」「乖離の原因と改善策の議論(30分)」「翌月の重点施策と担当者の確認(15分)」という60分構成が実践的です。会議の最後には必ず「誰が何をするか」を決めて終わることを全参加者で共識します。報告は会議前に資料共有し、会議の時間は議論と意思決定に使うのが理想です。
失速を防ぐポイント② 成功体験を意識的に積み重ねる
PDCAサイクルが「重荷」ではなく「役に立つ仕組み」として認識されるために、初期段階では比較的達成しやすい目標を意識的に設定することが大切です。たとえば「未収金を3か月で10%削減する」「算定漏れ加算を月次で洗い出し1か月以内に回収する」といった具体的な成果が出ると、組織全体のPDCAへの信頼感が醸成されます。失敗した場合もそれ自体を「何がうまくいかなかったか」の学習機会として扱う文化が重要です。
失速を防ぐポイント③ 指標の「見える化」を継続する
主要KPIを廊下や休憩室に掲示し、スタッフが日常的に経営状況を意識できる環境を作ります。「自分の仕事が病床利用率や入院単価に直結している」という実感が、一人ひとりの行動変容を促します。数値だけでなく「先月と比べて改善した指標(緑表示)」「重点課題(赤表示)」をあわせて示すと動きが視覚化されてモチベーション向上に繋がります。デジタルサイネージや経営情報システムのダッシュボードを活用することで、リアルタイムの共有も可能になります。
失速を防ぐポイント④ 事務長の経営スキルを継続的に高める
PDCAサイクルを回す中心人物は事務長です。財務分析・経営指標の読み方・ファシリテーションといったスキルが必要で、これらは実務を通じて徐々に身についていきます。院内勉強会の実施や外部研修への参加、医療経営士などの資格取得支援を通じて、事務長が「経営のパートナー」として機能できる体制を整えることが病院経営の長期的な底力になります。
四病協の調査によれば、赤字病院が74.6%に達する現在の環境でも、経常黒字を実現している病院は確実に存在しています。黒字病院に共通するのは、「経営数値を迅速に把握し・原因を分析し・具体的な施策を実行する」PDCAの文化が組織に根付いていることです。一夜にして経営が好転することはありませんが、まず事務長がこの仕組みの主導者となり、小さなPDCAを積み重ねることが、赤字脱却への現実的なルートです。
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