病院経営の最大の課題は何かと問われれば、多くの経営者が「人件費」と答えるでしょう。病院のコスト構造は特殊で、総費用の5〜6割を人件費が占めるとされています。製造業や小売業では通常20〜30%程度であることを考えると、いかに人件費の比率が高い業種かがわかります。
四病院団体協議会の2024年度調査によると、病院の医業赤字は74.6%、経常赤字は65.6%に達しています。この厳しい経営環境のなかで、令和8年度診療報酬改定(施行2026年6月1日)では本体改定率がプラス3.09%(約30年ぶりの3%超)となりましたが、その約半分にあたる1.70%ポイントが賃上げ対応分です。診療報酬が上がる恩恵を受ける半面、職員の処遇改善も同時に求められる——という「トレードオフの中の両立」が、今まさに病院経営者に問われています。
さらに帝国データバンクの2024年度調査では、民間病院約900法人の営業赤字が61.0%に上り、前年度比でも悪化しています。こうした厳しい状況のなかで、賃上げと人件費率の適正化を同時に実現するには、「コストを削る」発想から「生産性を高める」発想への転換が不可欠です。
本記事では、人件費率を適正化しながら職員の賃金も引き上げるという、一見矛盾する課題を解決するための考え方と具体的な手順を解説します。
1. 病院の人件費率が高止まりする構造的な理由
病院の人件費率が高止まりする理由には、複数の構造的な背景があります。単に「医療職の給与が高い」だけではなく、業種特性に根ざした要因が絡み合っています。
まず、**診療行為のほとんどが「人が直接行うサービス」**である点です。医師の診察・手術、看護師のベッドサイドケア、リハビリテーション士の訓練——これらはAIや機械で代替しにくく、マンパワーへの依存度が本質的に高い業態です。一般の製造ラインのように自動化して生産性を飛躍的に高めるという手段が、医療では限られています。
次に、24時間・365日体制という運営形態が人員を押し上げます。夜間・休日のシフトをカバーするためには、一定の患者数に対して余裕を持った人員を確保せざるを得ないケースが少なくありません。特に急性期病棟では、急変対応や緊急入院に備えた「余力」が常に必要です。
さらに、施設基準と人員配置基準の維持という問題があります。急性期一般入院料1(令和8年度改定で1,874点)など、より点数の高い入院料を算定するためには、一定の看護師配置(たとえば7対1看護)を維持する義務があります。病床利用率が低くても規定数を下回れば基準を失うため、患者数が少ない時期でも人員を確保し続ける必要があります。
| 高止まりの要因 | 概要 |
|---|---|
| 人的サービスの本質 | 診療・ケアは機械代替が困難 |
| 24時間体制 | 夜間・休日シフトで員数が膨らむ |
| 施設基準の維持 | 加算算定のための最低人員義務 |
| 採用・教育コスト | 医療職は長期の育成が必要 |
| 離職・欠員対応 | 欠員補充のための派遣・非常勤コスト |
これらの要因が重なると、病床利用率が下がっても人件費が固定費のように残り続け、利用率の低下が収益減→人件費率の悪化というスパイラルに陥ります。200床・入院単価5万円の病院では、病床利用率が1ポイント低下するだけで年間約3,650万円の収益損失となりますが、それに対応した人件費削減は容易ではありません。
2. 令和8年度改定が求める賃上げの実態と算定要件
令和8年度診療報酬改定(施行2026年6月1日)で、賃上げ対応は明確な制度として位置づけられました。改定の本体プラス3.09%のうち、1.70%ポイントが賃上げ対応分として確保されています。
具体的には「入院ベースアップ評価料」が拡充され、最大250点まで算定できるようになりました。また「看護・多職種協働加算」も令和8年度改定で新設され、加算1(277点)・加算2(255点)という選択肢が設けられています。これらはあくまで算定候補であり、実際に算定できるかどうかは届出・要件確認が必要です。
賃上げ対応の財源を得るためには、まず「ベースアップ計画書」を作成し、職員の基本給(ベースアップ=ベア)を一定割合以上引き上げることを計画として示す必要があります。賞与の増額ではなく基本給の恒久的な引き上げが要件の核心であることに留意してください。翌年度以降も継続して支払い義務が生じる点で、経営へのインパクトは長期にわたります。
外来関係の「外来ベースアップ評価料」も同様の枠組みで算定候補となっています。病院が外来機能を担っている場合は、こちらの届出も検討が必要です。
多くの病院では「改定率がプラスになったのだから財源は確保できる」と考えがちですが、実際には患者数の動向・病床利用率・算定要件の充足状況によって、受け取れる点数は大きく変わります。さらに、物価高騰対応料(急性期一般1で58点/日など)が新設されたものの、それもコスト上昇への補填であって新たな余剰ではありません。賃上げの原資が診療報酬だけでは不足するリスクを念頭に置いた、費用構造の見直しが同時に必要です。
3. 「労働生産性」を病院経営の指標として捉える
「労働生産性」という言葉は製造業でよく使われますが、病院経営にも積極的に応用すべき概念です。病院での労働生産性は、大きく次のように考えることができます。
労働生産性 = 医業収益 ÷ 職員数(または総労働時間)
この指標が高いほど、少ない人員・時間でより多くの収益を生み出しているということになります。ただし病院の場合、医師・看護師・コメディカルなど職種によって業務内容や収益への貢献度が大きく異なるため、職種別・部門別の分析が実態把握に有効です。全職員を一括りにした指標だけでは、どの部門に問題があるか把握できません。
| 指標 | 計算式(例) | 活用場面 |
|---|---|---|
| 一人当たり医業収益 | 医業収益 ÷ 職員数 | 全体生産性の把握 |
| 看護師一人当たり在院患者数 | 平均在院患者数 ÷ 看護師数 | 看護生産性の確認 |
| 時間外労働割合 | 時間外時間 ÷ 所定内労働時間 | 非効率業務の検出 |
| 人件費率 | 人件費 ÷ 医業収益 | コスト水準の総点検 |
人件費率は業態・規模・機能によって目安が異なりますが、一般に急性期病院では人件費率が55〜65%を超えると危険水域とされることが多く、施設によって適正水準は異なります。まず自院の過去3〜5年の推移を把握し、悪化トレンドにあるか否かを確認することが出発点です。
人件費をベースとした病院経営指標の活用については、国立病院機構の5年間分析(日本医療マネジメント学会雑誌)でも有効性が示されており、月次の継続モニタリングが経営改善の基盤となることが確認されています。
4. 人件費率を適正化する4つのアプローチ
人件費率の適正化には、次の4つのアプローチがあります。それぞれ単独ではなく、組み合わせて実施することが効果的です。
① 業務量に合わせた人員配置の最適化
入院患者数・外来患者数に連動して、シフト・配置を柔軟に調整します。病床稼働率が低い時期に人員を抑制し、高い時期に適切な補充を行うことで、固定的な人件費を変動費的に管理することが目標です。ただし、施設基準の維持が前提となるため、配置の下限には注意が必要です。シフト組みの最適化にはITシステムを活用することも有効です。
② 残業・時間外労働の削減
時間外労働は通常賃金の1.25倍以上(法定割増率)のコストがかかります。残業の多い部署・職種を特定し、業務プロセスの見直し・ICT活用・電子カルテへの記録業務の効率化などによって残業を削減することが、人件費改善の即効策となります。医師の働き方改革(2024年4月施行)との整合性も念頭に、医師の時間外を適正管理することも重要です。
③ 職員区分・雇用形態の見直し
常勤・非常勤・派遣の構成比を定期的に見直します。一般に派遣スタッフは時給コストが割高になりますが、緊急性の高い欠員補充には有効です。一方、非常勤に過度に依存すると、研修・管理コストが増え、ケアの質が低下するリスクもあります。正規雇用を中心に据えながら、需要変動をパート・非常勤で吸収するバランスが重要です。雇用形態の多様化と処遇改善を両立することで、離職率の低下にもつながります。
④ 医業収益の拡大(分母を増やす)
人件費そのものを削減するだけでなく、分母である医業収益を伸ばすことで人件費率を改善する発想も重要です。病床利用率の向上・加算の適正算定・外来患者の誘導などが収益改善策として有効です。人件費率=人件費÷収益であるため、収益が上がれば分母が大きくなり比率が改善します。この視点は「コスト削減」一辺倒の思考から脱却するうえで不可欠です。
5. タスクシフト・シェアで職種別業務配置を最適化する
近年、病院経営の現場で注目されているのが「タスクシフト・シェア」(業務の移管・共有)です。これは、医師が行っていた一部の業務を看護師・薬剤師・臨床工学技士・診療放射線技師などが担い、医師の負担を軽減する取り組みです。令和4年度の医師の働き方改革関連法施行以降、多くの病院で積極的に導入が進んでいます。
タスクシフトの代表的な例として、次のようなものが挙げられます(実施可能な範囲は医療法・厚労省通知等で確認が必要です)。
- 採血・静脈路確保(臨床検査技士への移管)
- 薬剤の調整・服薬指導(薬剤師への移管)
- 術後の創部処置補助(看護師への移管)
- 診療記録の代行入力(医療事務作業補助者への移管)
- 画像撮影の一部(診療放射線技師への移管)
タスクシフトを実現することで、医師の時間外労働を削減しつつ、医師がより高度な診療に集中できる環境を整えます。これは医師の時間当たり収益性を高める効果があるため、人件費率の改善にも寄与します。
「タスクシェア」は、複数職種が協働して一つの業務を分担することを指します。たとえば、入退院支援を看護師と医療ソーシャルワーカー(MSW)が役割分担して行うことで、どちらの専門性も活かしながら業務量を分散させます。重要なのは、タスクシフト・シェアを行う際に加算算定と連動させることです。
令和8年度改定で新設された「看護・多職種協働加算」(加算1:277点、加算2:255点)は、チーム医療の体制整備が評価される仕組みです。こうした加算を積極的に活用することで、人件費増なしに収益を伸ばすことができ、生産性改善と賃上げ原資確保の一石二鳥が実現します。
6. KPIを設定して月次でモニタリングする
人件費率の改善を継続するためには、KPI(重要業績評価指標)を設定し、月次でモニタリングする体制が不可欠です。一度対策を打っても、モニタリングなしには効果が持続せず、問題が再燃した際に気づくのが遅れます。
推奨するKPI例を以下に示します。
- 人件費率(月次): 医業収益に占める人件費の比率。前月・前年同月比で推移を確認
- 時間外労働時間(部署・職種別・月次): 増加した部署を早期に特定し原因分析
- 一人当たり医業収益(月次): 職員数の増減と収益変動の関係を把握
- 欠員率・離職率(四半期): 人員補充コストへの先行指標として活用
- 残業代の対前月比(月次): 急増した場合はアラートとして対応
これらのKPIは、経営企画部門(または事務部門)が毎月集計し、理事長・院長・事務長が揃う経営会議で共有することを習慣化することが重要です。福祉医療機構(WAM)の病院経営動向調査(WAM短観)でも、月次でのモニタリング体制を持つ病院が収益改善につながりやすいことが示されています。
データを見るだけでなく、「なぜこの数値が変化したか」を職場単位で分析し、対策を立案するPDCAサイクルを回すことが生産性改善の本質です。また、年1回の頻度で人件費率の中期目標値を設定し、向こう3年の改善シナリオを事業計画に盛り込むことをお勧めします。単年度の改善では限界があり、中長期の視点で段階的な計画を立てることで、職員への丁寧な説明と合意形成も行いやすくなります。
KPIモニタリングが軌道に乗ると、「今月は時間外が急増しているが原因は特定部署の欠員」「人件費率が改善しているのは病床利用率回復のおかげ」といった因果関係が把握できるようになります。こうした「見える化」が、次の打ち手を迅速に判断するための土台となります。
まとめ
病院の人件費率は、構造的な要因から高水準になりやすく、短期間で大幅に改善することは容易ではありません。一方で、令和8年度改定が求める賃上げ対応を契機に、「収益増と費用最適化の両立」を真剣に検討する好機でもあります。
重要なのは、「人件費を削る」という発想から脱却し、「少ない人員・時間でより多くの価値を生む体制をつくる」という生産性改善の視点で取り組むことです。タスクシフト・シェアや業務標準化を通じて職員一人ひとりの生産性を高め、同時に加算算定の適正化で収益を伸ばすことで、賃上げの原資を内部から生み出すことが可能になります。
まず自院の人件費率と労働生産性の現状把握から始め、KPIを設定して月次でモニタリングする体制を整えてください。経営の「見える化」が改善の第一歩です。
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出典・参考文献
- GemMed 医業赤字74.6%・経常赤字65.6%(四病協最終報告の解説)
- GemMed 2026年度改定答申: 基本診療料アップ・物価対応料新設・ベースアップ評価料拡充
- 日医on-line 令和8年度診療報酬改定 改定率は本体プラス3.09%に決定
- 四病院団体協議会 2025年度 病院経営定期調査 結果報告(2025年11月)
- 人件費をベースとした新たな病院経営指標を用いた国立病院機構における5年間の分析(日本医療マネジメント学会雑誌)
- 福祉医療機構リサーチレポート 2023年度決算 病院の経営状況
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