病院の収益は診療報酬に大きく依存しています。そのため、審査支払機関から通知される査定(減額)や返還請求は、経営収支に直接影響を与えます。算定漏れの防止については意識が高まっている病院が増えていますが、反対に「算定してはいけなかった報酬」を請求してしまった場合の対処——すなわち査定・返還請求への対応——については、体系的な体制が整っていない病院が多いのが現状です。
令和8年度診療報酬改定(2026年6月施行)では、入院基本料の大幅引き上げや物価対応料の新設、多職種協働加算の新設など、算定対象が増えた一方で算定要件も複雑化しました。こうした変化の時期こそ、適正請求体制の見直しと、査定・返還への組織的な対応力の強化が求められます。
本稿では、診療報酬の審査・査定の仕組みから、返還請求への具体的な対応、不服申立(再審査請求)の手順、そして継続的な適正請求体制の構築方法までを体系的に解説します。
査定と返還請求の基本を整理する

診療報酬のトラブルには大きく2種類あります。**「査定(減額審査)」と「返還請求」**です。この2つは混同されることがありますが、発生するタイミングと経営への影響が異なります。
査定は、病院が審査支払機関にレセプトを提出した後、審査の過程で「算定要件を満たさない」と判断された部分を差し引くことです。支払前に発生するため、「もらえるはずだったお金が入らない」状態です。月次の入金額が予想より少ない場合、査定によって減額されている可能性があります。
返還請求は、すでに支払われた診療報酬について、後日「算定誤りがあった」として返還を求められるものです。保険者や審査支払機関が過去のレセプトを再点検した結果、過誤が発覚した場合に請求されます。一度受け取ったお金を返さなければならないため、資金繰りへのダメージが大きく、場合によっては複数年分を遡って多額の返還を求められることもあります。
査定・返還の主な発生原因
| 原因 |
具体例 |
| 施設基準の未充足 |
看護配置が基準人数に達していないが加算を継続算定 |
| 算定要件の誤解 |
指導料の対象患者要件を満たさない患者に算定 |
| 診療報酬改定への追従遅れ |
改定後の新ルールで従前の算定方法を続ける |
| レセプト記載不備 |
傷病名・実施日・コメントの記載漏れで算定根拠が不明 |
| 重複算定・包括対象の誤り |
同月に包括点数と出来高点数を重複算定 |
四病院団体協議会の2025年度病院経営定期調査(最終報告)によれば、病院の医業赤字は74.6%、経常赤字は65.6%に達しています。経営余力が極めて乏しい状況で、査定・返還による収益減は経営の安定を大きく脅かします。「仕方ない」と放置せず、原因を特定し組織的に対応する姿勢が求められます。
審査支払機関の仕組みと審査のポイント

診療報酬の審査は、**社会保険診療報酬支払基金(支払基金)と国民健康保険団体連合会(国保連)**の2機関が行っています。支払基金は被用者保険(健康保険・共済組合・船員保険等)のレセプトを、国保連は国民健康保険・後期高齢者医療制度のレセプトを主に担当します。
どちらの機関も、コンピュータによる自動チェックと、医師・歯科医師・薬剤師等の有資格者が行う審査委員による目視審査の2段階で審査を実施します。
自動チェックでは次のような形式的誤りを検出します。
- 算定の上限回数・間隔のルール違反
- 年齢・性別制限のある診療行為の誤算定
- 傷病名と検査・投薬の整合性のチェック
- 包括算定対象の重複算定
審査委員の審査では、記録の内容を読み込んだうえで、医学的妥当性・診療の必要性という観点での判断が加わります。特に高額な加算や、算定件数が多い医療機関のレセプトは重点的に審査される場合があります(各機関の審査方針によります)。
近年は電子レセプトの普及により縦覧点検(同一患者の複数月レセプトを横断的に比較)と突合点検(医療機関・調剤薬局・訪問看護のレセプトを突合して矛盾を確認)が高精度・大量に実施されています。以前は見逃されていた傷病名の追加パターンや、長期にわたる特定処置の継続などが検出されやすくなっています。
令和8年度改定で新設された多職種協働加算(加算1: 277点、加算2: 255点)や物価対応料(急性期一般1では58点/日など)は、施行直後は算定要件の解釈で現場に混乱が生じることがあります。新設加算ほど算定要件Q&Aの確認と、院内での算定基準の文書化が重要です。
査定が多い請求パターンと算定要件の落とし穴

査定リスクが高い領域は、医療機関の機能や算定している診療行為によって異なります。一般的に、点数が大きく施設基準に連動する加算・管理料・指導料は査定リスクが相対的に高いとされています。
入院基本料・関連加算
病院収益の根幹をなす入院基本料は、施設基準の変化(特に看護配置人数・重症度基準)が直接収益に影響します。令和8年度改定で急性期一般入院料1は1,688点から1,874点へ引き上げられましたが、算定要件も見直されています。重症度・医療・看護必要度の基準を下回った状態が続く場合は、届出区分の変更が必要になります。届出と実態がずれたまま算定を続けることは返還リスクの代表例の一つです。
特定入院料(回復期・地域包括ケア等)
回復期リハビリテーション病棟入院料や地域包括ケア病棟入院料は施設基準の要件が細かく、アウトカム評価(実績要件)も求められています。実績値の確認と、診療録への記録がセットで必要です。
各種管理料・指導料
生活習慣病管理料、外来腫瘍化学療法診療料、療養計画書の作成と同意取得を要する管理料は、書類の不備・同意書の未徴取が査定・返還の原因になります。「診療は行ったが記録が残っていない」という状況は、記録の不備として査定される可能性があります。
検査・画像診断
傷病名と実施した検査・画像の整合性は自動チェックの主要対象です。主傷病名として記録されていない疾患に対する検査、または医学的根拠が傷病名から読み取れない検査は、症状詳記(コメント)がなければ査定されやすくなります。コメントの適切な記載は有効な査定予防手段の一つです。
帝国データバンクの2024年度調査では民間病院の61.0%が営業赤字と報告されており(前年度54.8%からさらに悪化)、収益管理の重要性が増しています。わずかな査定の積み重ねが、薄利経営の病院では年間収益を大きく左右します。
返還請求への対応 — 確認と受入・異議申立の分岐

返還請求を受けた際は、感情的に対応せず、まず冷静な事実確認から始めることが鉄則です。返還請求の内容が正当なのか、それとも審査側の誤りや判断に異議があるのかを見極めることが先決です。
ステップ①:返還理由と対象レセプトの把握
返還請求書には、対象となるレセプトの月・患者・診療行為・理由が記載されています。まず請求内容を精確に把握し、当該月の診療録・看護記録・各種計画書・同意書・検査結果を収集します。
ステップ②:算定根拠の確認
収集した記録をもとに、「算定要件を実際に充足していたか」「算定根拠となる書類が存在するか」を確認します。ここで重要なのは、実際の診療行為の有無と、その記録の有無は別物という認識です。診療は適切に行われていても、記録がなければ算定根拠を示せません。
ステップ③:受入か異議申立かの判断
確認の結果、算定誤りが明確であれば速やかに返還を受け入れます。返還の受入が遅れると延滞金が発生する場合があります。一方、記録が整備されており算定の根拠があると判断した場合は、**再審査請求(不服申立)**の手続きを検討します。
大規模案件の対処
返還請求が複数月・複数患者・高額に及ぶ場合は、病院単独で対応しようとせず、医事コンサルタントや診療報酬に詳しい専門家(行政書士・弁護士等)への相談を検討します。過去数年分を遡った大規模返還事案は、法的な見解が必要な局面もあります。
病院200床・入院単価5万円規模であれば、利用率1ポイントの差が年間約3,650万円の収益差に相当します(2床×5万円×365日の機械計算)。大規模な返還請求はそれ以上の影響を与えうるため、早期の状況把握と対応が欠かせません。
不服申立(再審査請求)の手順と効果的な進め方

査定や返還請求の内容に異議がある場合、**再審査請求(不服申立)**を行うことができます。これは正式な手続きであり、審査結果の再検討を求めるものです。適切に活用することで、正当な算定が認められるケースがあります。
手順1:申立期限の確認
審査結果の通知から一定期間内に申立する必要があります。期限は支払基金・国保連・保険者によって異なるため、通知書に記載された期限を確認し、速やかに対応を開始します。
手順2:根拠資料の収集
不服申立を支える根拠資料を整理します。
- 診療録(SOAP形式のもの)、看護記録
- 検査結果データ、画像所見
- 各種計画書(療養計画書、リハビリ計画書等)
- 患者・家族の同意書
- 必要に応じて学術文献(ガイドライン等)
手順3:症状詳記の作成
査定の理由に対して反論する「症状詳記」を担当医師が作成します。**「なぜこの患者にこの診療行為が医学的に必要だったか」**を具体的・客観的に記述することが重要です。感情的な表現や主観的意見ではなく、客観的な臨床所見・根拠に基づいた記載が審査委員に受け入れられやすくなります。
手順4:申立書の提出
支払基金または国保連の所定書式に必要事項を記入し、根拠資料一式とともに提出します。電子申立が可能な機関もあるため、事前に各機関の窓口に確認します。
手順5:結果の確認と記録蓄積
再審査の結果は「査定維持」または「査定取消(支払)」のいずれかで通知されます。結果にかかわらず、**「どのような査定理由に対し、どのような反論が有効だったか」**を院内でデータベース化することで、次回以降の対応効率が上がります。正当な請求に対する査定には積極的に申立を行うことが、経営上合理的な判断です。
院内適正請求体制の構築 — 継続的な収益保全のために

査定・返還リスクを最小化するには、事後的な対応だけでなく、予防的な院内体制の構築が不可欠です。適正請求体制の整備は、算定漏れの防止とも表裏一体であり、病院の安定収益を継続的に守る基盤となります。
①レセプト提出前の内部点検体制
医事課スタッフによるレセプト提出前の点検は多くの病院で実施されていますが、点検の質と範囲には差があります。次の重点ポイントに絞った確認が現実的です。
- 高額加算・施設基準連動加算の要件充足確認(看護配置人数・重症度基準の月次集計)
- 傷病名の整合性確認(長期にわたる傷病名の追加・変更パターンの点検)
- 新設加算の算定ルール適用の確認(改定直後は特に要注意)
②電子レセプト点検ソフトの活用
コンピュータによる点検ソフトを活用することで、算定上限超過・傷病名不整合・包括対象との重複などの形式的エラーを事前に検出できます。支払基金・国保連のチェックルールは改定のたびに更新されるため、ソフトのバージョン管理と定期更新が必要です。
③診療報酬改定情報の院内周知
改定は原則2年に1回(令和8年度は2026年6月施行)ですが、経過措置・解釈通知・Q&Aは改定後も随時発出されます。医事課だけでなく、診療科長・病棟看護師長・リハビリスタッフなど算定に関わる全スタッフへの周知が必要です。GemMed・日医on-line・厚生労働省ウェブサイトの定点観測と院内への還元を仕組み化することで、情報の鮮度を保てます。
④コーディング教育とフィードバック体制
DPC対象病院では、主傷病名の選定誤りや副傷病の見落としが包括点数のずれに直結します。定期的な医師・医事課向けのコーディング勉強会と、査定結果の診療科へのフィードバックを仕組み化することが効果的です。
| チェック事項 |
担当部署 |
実施タイミング |
| 施設基準充足状況の確認(看護配置・重症度等) |
医事課・看護部 |
毎月 |
| レセプト提出前点検(傷病名・加算要件) |
医事課 |
毎月(請求前) |
| 査定結果の分析・原因整理 |
医事課 |
毎月(結果受領後) |
| 査定内容の診療科へのフィードバック |
医事課・経営企画 |
毎月 |
| 診療報酬改定情報の収集・院内周知 |
医事課・経営企画 |
改定時・随時 |
| 不服申立実績のデータベース更新 |
医事課 |
査定都度 |
| 外部専門家(コンサル等)との情報交換 |
事務長・医事課長 |
四半期ごと |
⑤外部専門家との連携体制
医事コンサルタントや診療報酬専門の専門家と継続的な連携体制を持つことで、改定対応・複雑な算定要件の確認・大規模返還事案への対応力を高められます。日本の病院の人件費は全体コストの5〜6割を占めており、医事スタッフの教育・体制強化への投資は中長期的に大きなリターンをもたらします。
まとめ
診療報酬の査定・返還請求への対応は、受け身にならず能動的に取り組む問題です。算定を正確に行い、記録を整備し、正当な算定への査定には不服申立を行い、再発防止に継続的に取り組む——この一連のPDCAサイクルが、安定的な収益保全の鍵となります。
令和8年度改定のような大規模な改定後は、新設加算や新ルールへの対応に伴う算定誤りが発生しやすい時期です。厚生労働省の通知・Q&AやGemMed・日医on-lineなどの情報源を活用して最新ルールを把握しつつ、院内体制を継続的に改善していくことが求められます。
適正に算定できる診療報酬はきちんと算定漏れなく請求し、一方で要件を満たさない算定は厳に慎む——この「適正請求」の実践こそが、病院経営を守る確実な手段です。
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