「診療のことは院長に任せられる。けれど、経営の数字を任せられる相手がいない」。そう感じている理事長は少なくないはずです。医師である理事長・院長が診療の第一線に立ちながら、資金繰り、人件費、診療報酬、職員の処遇までを一人で抱え込み、経営判断が後手に回る——赤字が続く病院ほど、この構図に陥りがちです。本来、そこで経営の実務を担うべき存在が事務長です。しかし現実には、事務長が総務・庶務の取りまとめ役にとどまり、経営の数字に踏み込めていない病院も多く見られます。本記事では、病院の事務長に本来求められる役割、「管理する事務長」から「経営を担える事務長」への転換、事務長が押さえるべき経営指標、育成と権限の与え方、そして承継や再生の局面で事務長が果たす働きまでを、実務目線で整理します。なお、事務長に求められる役割は病院の規模・機能・地域によって大きく異なり、本記事は一般的な考え方の整理である点を、あらかじめお断りします。

なぜ今、経営を担える事務長が求められるのか

事務長の役割を「事務方の責任者」という枠だけで捉えてしまうと、いま病院が置かれている環境の厳しさに対応できません。背景には、単発の要因ではなく、いくつかの構造的な変化が重なっています。まず病院経営そのものの厳しさです。四病院団体協議会の2024年度調査によると、病院の医業赤字は74.6%、経常赤字は65.6%にのぼるとされ、多くの病院が本業で赤字を抱えています。診療の質を保ちながら赤字と向き合うには、日々の数字を読み、費用と収益に手を打てる経営人材が現場に欠かせません。次に担い手の減少です。帝国データバンクの調査では、医療機関の倒産と休廃業解散が2年連続で過去最多の水準に達したとされ、経営を支える人材の確保が難しくなっています。そして制度環境の変化です。令和8年度診療報酬改定では本体が**+3.09%**とされ、賃上げや物価への対応が政策的に重視されるなど、経営に直結する制度が動き続けています。こうした変化を読み解き、自院の判断に落とし込む役割の担い手が求められています。

経営を担える事務長が求められる構造的な背景を示すフロー図

こうした流れのなかで、事務長という役割は二重の意味を持ちます。第一に理事長・院長の負担を分かち合う存在としての意味です。医師である経営トップが診療に集中するためには、経営の実務を任せられる相手が必要です。第二に現場と経営をつなぐ結節点としての意味です。数字だけでも、現場感覚だけでも病院は動きません。両者を橋渡しし、方針を実行に移す役割が事務長には期待されます。大切なのは、事務長を「事務の管理者」ではなく「経営の実務を担うパートナー」として位置づけ直すことです。福祉医療機構(WAM)の病院経営動向調査でも、費用構造の見直しや稼働の改善は繰り返し論点として取り上げられており、こうした課題に日常的に向き合う担い手が現場に欠かせません。

事務長の役割とは — 「管理」から「経営」へ

言葉の印象に引きずられて、事務長を「事務仕事の取りまとめ役」と捉えてしまうと、その真価を引き出せません。ここを曖昧にしたまま任せると、事務長は目の前の処理に追われ、経営の数字に踏み込めないまま終わってしまいます。まず、事務長に本来求められる役割を整理しておく必要があります。

「管理する事務長」と「経営を担える事務長」を対比する構成図

大づかみに言えば、経営を担える事務長とは、病院の数字を読み、費用と収益に手を打ち、現場を巻き込んで方針を実行に移せる存在です。日々の事務処理を正確にこなすことは前提ですが、そこにとどまりません。庶務や労務、施設管理を差配する「管理」の役割から一歩踏み出し、経営指標を読み解いて課題を見つけ、改善策を立てて現場と動かす「経営」の役割へと広がっていきます。次の対比が、その違いを分かりやすくします。

視点 管理する事務長 経営を担える事務長
主な関心 事務処理を滞りなく回す 数字を読み課題を見つける
数字の扱い 集計・報告にとどまる 分析して打ち手につなげる
現場との関係 依頼を受けて対応する 巻き込んで改善を動かす
経営への関与 指示を待って実行する 方針を提案し実行を担う

こうして並べると、経営を担える事務長が「事務処理の延長」ではないことが分かります。事務を正確に回す力に加えて、数字を経営判断につなぐ力、現場を動かす力が重なって初めて、経営を担える事務長になるという点を、まず押さえておく必要があります。逆に、この視点を欠いたまま処理能力だけを求めれば、事務長はいつまでも「管理者」の枠にとどまり、赤字と向き合う戦力にはなりません。

経営を担える事務長が持つべき三つの視点

役割を整理したら、経営を担える事務長が具体的にどんな視点を持つべきかを捉えます。ここで「経営の視点」を漠然と語るだけでは、事務長も何を身につければよいか分かりません。実務に落とし込める形で、三つの視点に分けて考えます。

経営を担える事務長が持つべき三つの視点を示すマトリクス図

第一に数字を読む視点です。病床利用率、平均在院日数、人件費率、診療報酬の算定状況といった経営指標を、集計するだけでなく「なぜその数字なのか」まで掘り下げて読みます。第二に現場を動かす視点です。数字から見えた課題を、医師・看護部・各部門の納得を得ながら改善へつなげます。どれほど正しい分析でも、現場が動かなければ経営は変わりません。第三に外の変化を取り込む視点です。診療報酬改定や制度変更、地域の医療ニーズの変化を早めにつかみ、自院の判断に反映します。令和8年度改定のように経営に直結する変化を後追いで知るのではなく、先んじて備える姿勢が要になります。

視点 中身 欠けたときに起きること
数字を読む 指標を分析し課題を特定する 赤字の原因が特定できない
現場を動かす 部門を巻き込み改善を進める 分析が絵に描いた餅になる
外を取り込む 制度・地域の変化に備える 改定や環境変化に後手に回る

この三つは、どれか一つでも欠けると経営を担う力が成り立ちません。数字を読むだけでは机上の分析家に、現場を動かすだけでは調整役に、外を取り込むだけでは評論家にとどまる——三つが重なって初めて、事務長は経営を前に進める戦力になります。

事務長が押さえておきたい経営指標

三つの視点のうち、土台になるのが「数字を読む視点」です。ここでは、事務長が日常的に押さえておきたい代表的な経営指標を整理します。抽象的な理解ではなく、自院の数字と照らして語れることが、経営を担える事務長の出発点になるからです。

事務長が押さえる主要な経営指標を示す棒グラフ

まず病床利用率です。病床利用率の全国平均は全病床77.0%・一般病床73.3%とされ、損益分岐点は一般に80%前後と言われます。自院の稼働がこの水準に対してどうかを、病棟ごとに把握することが基本です。参考までに、病床200床・入院単価5万円の病院では、利用率が1ポイント動くだけで機械計算上は年間約3,650万円の増収に相当するとされ、稼働の1ポイントが経営に与える影響は小さくありません。次に人件費率です。病院のコストの5〜6割は人件費とされ、費用構造の中心を占めます。賃上げが政策的に求められるなかで、人件費を「削る」だけでなく「活かす」視点が事務長には問われます。さらに診療報酬の算定状況です。本来算定できる加算を取りこぼしていないか、施設基準を満たし続けているかは、収益に直結します。ただし、令和8年度診療報酬改定では本体が+3.09%とされるものの、個別の点数や施設基準、算定可否は届出の状況や年度によって異なり、確認が必要です。金額や点数を本記事の情報だけで断定せず、必ず一次情報と専門家への確認を前提としてください。事務長の役割は、これらの指標を「知っている」ことではなく、自院の数字として読み解き、打ち手につなげることにあります。

経営を担える事務長を育てる・任せる

指標の重要性を捉えたら、それを扱える事務長をどう育て、どこまで任せるかという組織づくりの問題に向き合います。優れた事務長は、採用で一朝一夕に得られるものではなく、権限と経験を通じて育っていく面が大きいからです。ここでは育成と権限委譲の要点を整理します。

経営を担える事務長を育てる段階を示すタイムライン図

第一に数字に触れる機会を与えることです。事務長を経営会議に加え、病棟別の稼働や損益といった経営数字に日常的に触れさせます。数字を渡されなければ、数字を読む力は育ちません。第二に権限を明確にすることです。どこまでを事務長の判断で進めてよいのかを曖昧にしたままでは、事務長は動けません。責任の範囲と決裁の権限をあわせて示すことが欠かせません。第三に理事長・院長との対話の場を持つことです。経営トップの考えを共有し、事務長の分析や提案を受け止める対話を重ねることで、方針と実行がかみ合っていきます。第四に外部の知見を活用することです。必要に応じて外部の専門家やセミナー、他院の事例に触れる機会を用意し、視野を広げます。

段階 主な中身 見落としやすい点
数字に触れる 経営会議への参加・指標の共有 数字を渡さずに期待だけする
権限を明確化 判断範囲と決裁権の明示 責任だけ重く権限が伴わない
対話を重ねる 方針共有と提案の受け止め トップが抱え込み任せきれない

ここで大切なのは、任せると決めたら、権限もあわせて渡すことです。責任だけを重くして権限を与えなければ、事務長は萎縮し、経営を担う力は育ちません。理事長・院長が「経営は自分が抱えるもの」という発想を手放し、事務長を経営のパートナーとして育てる覚悟を持てるかどうかが、組織づくりの分かれ目になります。

承継・再生の局面で事務長が果たす役割

最後に、事務長の真価が問われる承継や再生の局面での役割を整理します。平時に数字を読み現場を動かしてきた事務長は、経営が大きく動く場面でこそ、かけがえのない存在になるからです。

承継・再生の局面で事務長が果たす役割を示すチェックリスト図

赤字が続く病院の再生局面では、費用構造の見直し、稼働の改善、算定漏れの点検など、地道な実務の積み重ねが要になります。これらを現場と動かせる事務長がいるかどうかで、再生のスピードは大きく変わります。また、医療法人の承継やM&Aの局面では、財務資料の整理、外部の専門家との窓口、職員への説明といった実務が集中します。日ごろから自院の数字を把握し、現場の信頼を得ている事務長は、こうした場面で理事長・院長を支える中心的な役割を担います。もっとも、承継や再生は資金繰り、人員体制、法務・税務など専門性の高い論点が絡む大きな判断であり、事務長一人で完結できるものではありません。ここで事務長に求められるのは、すべてを自分で処理することではなく、論点を整理し、外部の専門家や関連部門をつなぎ、経営トップの判断を実務に落とし込む「ハブ」の役割です。

経営を担える事務長を得ることは、赤字や承継といった重い課題に向き合ううえで、大きな支えになります。まずは、自院の事務長が経営の数字にどこまで踏み込めているかを見つめ直し、数字に触れる機会と権限をあわせて渡すことから始めるのが現実的です。そのうえで、関連記事もあわせて参考にしながら、経営を担える事務長を育て、任せていく道筋を描くことをおすすめします。

まとめ — 事務長を経営のパートナーに

病院に経営を担える事務長が求められる背景には、本業の赤字の広がり、担い手の減少、そして制度環境の変化という構造的な変化があります。事務長の役割は、事務処理を滞りなく回す「管理」にとどまらず、数字を読み、現場を動かし、外の変化を取り込む「経営」へと広がっています。

その力を引き出すには、数字を読む・現場を動かす・外を取り込むという三つの視点を意識し、病床利用率や人件費率、診療報酬の算定状況といった経営指標を自院の数字として読み解けるようにすること。そして、事務長に数字と権限をあわせて渡し、対話を重ねながら育て、承継や再生の局面では論点を整理し関係者をつなぐハブとして働いてもらうこと。これらを地道に積み重ねれば、事務長は「事務の管理者」から「経営のパートナー」へと姿を変え、赤字や承継に向き合う病院の大きな支えになります。まずは、自院の事務長が経営の数字にどこまで踏み込めているかを、見つめ直すところから始めてみてはいかがでしょうか。なお、事務長に求められる役割や権限のあり方は病院ごとに異なるため、具体的な設計は自院の実情に即し、必要に応じて専門家の助言も得ながら進めてください。

よくある質問

Q1. 事務長と一般の事務職員は、役割がどう違うのですか。 一般の事務職員が総務・医事・経理といった個別の事務処理を担うのに対し、経営を担える事務長は、それらを束ねたうえで病院の数字を読み、費用と収益に手を打ち、現場を巻き込んで方針を実行に移す役割を担います。事務処理を正確に回すことは前提ですが、そこにとどまらず、経営指標を分析して課題を見つけ、改善策を立てて動かすところまでが期待される点が大きな違いです。理事長・院長の経営の実務を分かち合うパートナーと位置づけると、その役割が明確になります。

Q2. 経営の数字に強い事務長は、どうすれば育てられますか。 まずは事務長を経営会議に加え、病棟別の稼働や損益といった経営数字に日常的に触れさせることが出発点です。数字を渡されなければ、数字を読む力は育ちません。あわせて、どこまでを事務長の判断で進めてよいのかという権限の範囲を明確にし、責任だけでなく決裁の権限も渡すことが欠かせません。そのうえで理事長・院長との対話の場を重ね、必要に応じて外部の専門家やセミナー、他院の事例に触れる機会を用意すれば、視野が広がっていきます。任せると決めたら権限もあわせて渡すことが、育成の要点です。

Q3. 承継やM&Aの局面で、事務長にはどんな働きが期待されますか。 医療法人の承継やM&Aの局面では、財務資料の整理、外部の専門家との窓口、職員への説明といった実務が集中します。日ごろから自院の数字を把握し、現場の信頼を得ている事務長は、こうした場面で理事長・院長を支える中心的な役割を担えます。ただし、承継や再生は資金繰り・人員体制・法務・税務など専門性の高い論点が絡むため、事務長一人で完結できるものではありません。求められるのは、論点を整理し、外部の専門家や関連部門をつなぎ、経営トップの判断を実務に落とし込むハブの役割です。

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