病院経営において、病床利用率は収益を左右する最重要指標のひとつです。全病床の全国平均は77.0%、一般病床では73.3%(厚労省 病院報告2024)であり、損益分岐点は一般に80%前後とされています。200床・入院単価5万円の病院であれば、利用率が1ポイント変わるだけで年間約3,650万円の増減になる計算です。

しかし、感染症病床だけはこの常識が当てはまりません。感染症病床の利用率が10%を下回っていても、それは「経営の失敗」ではなく、法律と設備が意図した状態かもしれないのです。

本記事では、感染症病床の種別・定義、利用率が低い構造的な理由、診療報酬と補助金の仕組み、そして「維持するか返上するか」という経営判断の視点まで、病院の理事長・院長・事務長が知っておくべきポイントを整理します。

感染症病床の定義と指定区分 — 第一種・第二種・結核病床とは

感染症病床とは、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)に基づき、感染症患者を受け入れるために設置された特別な病床のことです。一般の病棟とは異なり、陰圧室・専用の空調設備・感染経路に配慮した動線確保など、感染の院内外への拡大を防ぐための特別な構造が求められます。

感染症病床は大きく「第一種感染症指定医療機関」「第二種感染症指定医療機関」「結核病床」の3種類に分けられます。

感染症病床の種別区分と指定要件フロー

第一種感染症指定医療機関は、エボラ出血熱・クリミア・コンゴ出血熱・ペスト・南米出血熱などの1類感染症、および新型インフルエンザ等感染症の患者を受け入れる施設です。都道府県に1か所程度しか指定されておらず、国内の指定病院は全体で非常に少数です。設備・人員の要件が最も厳格で、最高水準の陰圧室・気密設備・前室の確保が必要です。

第二種感染症指定医療機関は、結核・SARS・鳥インフルエンザ(H5N1型)など2類感染症の患者を受け入れます。全国に数百の病院が指定されており、地域の医療供給体制に応じて都道府県知事が指定します。2023年5月にCOVID-19が5類感染症へ移行する以前は、多くの第二種指定医療機関が入院対応の最前線を担い、院内体制・スタッフ教育の面で大きな役割を果たしてきました。

結核病床は、感染症法上の2類感染症である結核患者の専用病床として設置されます。国内の結核発症件数は長期的な減少傾向にある一方、高齢者・免疫低下患者を中心に一定数の需要が残っています。陰圧個室・空気感染対策設備・N95マスクの常備などが求められます。

これら3種類に共通する特徴は、**「平時には稼働しないが、有事には地域医療の最後の砦になる」**という役割です。この特性が、経営指標としての病床利用率とどう折り合うかが、指定医療機関を抱える病院が向き合う課題です。

以下の表に3種の概要をまとめます。

区分 対象感染症 指定数の目安 平時の稼働状況
第一種 1類感染症・新型インフルエンザ等 各都道府県1〜2か所程度 ほぼゼロ
第二種 2類感染症(SARS・鳥インフルエンザ等) 全国数百病院 非常に低い
結核病床 結核(2類感染症) 全国に分散 地域差が大きい

感染症病床の病床利用率が低い構造的理由

病院の損益管理において、病床利用率は「空床を埋める」努力の指標です。しかし感染症病床には、空床を埋めようとすることそのものが制度の趣旨に反するという側面があります。

なぜ感染症病床の利用率は構造的に低いのでしょうか。主な理由は3点です。

第一の理由:感染者は日常的に発生しない

感染症病床の対象となる1類・2類感染症の患者は、日本国内では年間を通じて非常に少数です。第一種指定医療機関の対象となるエボラ出血熱やペストに至っては、国内発症例は数年から数十年単位で見てもほとんどありません。したがって、病床が年間を通じてほぼ空床という状態は、経営上の問題ではなく、制度が意図した「備え」の状態です。

第二の理由:構造上、他の患者を入れられない

陰圧室は、空気中の病原体が外に漏れないよう、室内の気圧を外より低く保つ特殊な空調設備を持っています。また、感染患者の動線を他の患者と完全に分離するための専用廊下・専用エレベーターが設置されているケースも多く、感染症患者以外を入院させることは法令上・設備上で困難です。「空いているから別の患者に使おう」という一般病床の論理がそのままは通じません。

第三の理由:「余裕」を常に確保する設計になっている

感染症が急拡大したとき、病床が満床では受け入れができません。第二種指定医療機関の感染症病床は、有事に即座に機能できるよう、平時から「使っていない状態」を維持することが前提となっています。つまり、高稼働率を追求する設計ではなく、**「いつでも起動できる待機状態」**こそが正常な運用です。

感染症病床の平時・有事の稼働率イメージ(概念図)

COVID-19の流行は、こうした待機状態の意義を改めて示しました。感染症指定医療機関は2020年初頭から患者受入の最前線に立ちましたが、有事になってから新規整備しようとしても設備・人員・資材の確保は容易ではありませんでした。「平時の空床は、有事への備えのコスト」という認識が、感染症病床を経営的に評価する上での出発点です。

診療報酬と補助金の仕組み — 「採算が取れない病床」をどう支えているか

感染症病床は収益を生みにくい一方で、設備の維持・更新、スタッフの専門訓練・研修、感染防護用具(PPE)の備蓄管理、設備の定期点検など、継続的なコストが発生します。この「収益が低いのにコストは続く」という構造的矛盾に対して、診療報酬と公的補助金がどのように関与しているかを整理します。

感染症病床の経済構造 — 一般病床との比較

診療報酬上の評価

感染症病床に入院した患者については、対象感染症の種別や患者状態に応じて、特定の加算算定が認められています。ただし、患者が不在の空床時には診療報酬は発生しません。また、加算の算定可否・算定日数は感染症の種別・患者の状態・院内体制によって異なるため、個別に確認が必要です。

令和8年度診療報酬改定においては、入院料の引き上げ(急性期一般入院料1: 1,688点→1,874点等)や物価対応料の新設が実施されており(施行は2026年6月1日)、感染症指定医療機関においても有患者がいる際の算定単価は改善が期待されます。ただし、患者がいない平時には改定の恩恵は得られません。

補助金・交付金の活用

感染症指定医療機関の設備整備・訓練に関しては、都道府県が交付する補助金が活用できる場合があります。厚生労働省・都道府県の医療整備補助事業を通じて、陰圧室の新設・改修、PPEの備蓄整備等への支援が講じられているケースがあります。

ただし、COVID-19の流行期間中に設けられた特別措置は、5類移行後に縮小・終了しているものも多く、現在受給できる補助金の種類・金額については、都道府県の担当窓口(医療政策課等)または福祉医療機構(WAM)に問い合わせて最新情報を確認してください。

支援の種類 概要 対象
都道府県補助金 設備整備・訓練費等への助成 要件を満たす指定医療機関
WAM融資 設備投資向け長期低利融資 医療法人・個人立病院
感染症患者受入時の加算 入院期間中の診療報酬加算 患者がいる場合のみ

感染症病床の維持コスト(人件費・設備・訓練・備蓄)を補助金でどこまでカバーできるかは病院ごとに大きく異なります。まず自院の年間固定費を定量化し、補助金の受給状況と比較することが、経営的判断の第一歩です。

経営上の判断基準 — 指定を維持するか、縮小・返上するか

感染症指定を持つ病院の理事長・事務長が向き合うのは、「この病床を維持し続けることが、病院全体の経営にとってどういう意味を持つか」という問いです。一律の正解はなく、自院の状況・地域の体制・財務余力によって判断は異なります。

以下の4軸で評価することが実務的に有効です。

① 財務的コスト(定量化)

感染症病床の年間固定費を試算します。具体的には、専任・兼任スタッフの研修費・専用配置コスト、PPE・備蓄品の年間調達費、陰圧室の空調・電力・メンテナンス費、設備更新の減価償却、感染症患者不在時の空床維持費などが対象です。これらの合計が、補助金収入・有患者時の診療報酬収入を上回る分が、病院全体の収益で補填されている「持ち出し」になります。

② 地域医療計画上の位置づけ

都道府県の医療計画において、自院の感染症病床は地域の体制としてどう位置づけられているかを確認します。代替できる他の指定病院が近隣にある場合とない場合では、指定の返上・縮小に対する行政の判断が大きく異なります。「地域に代替体制がない」場合は、指定の維持が強く求められ、補助金等の交渉余地も広がります。

③ 医療スタッフの教育的メリット

感染症対応の訓練・経験は、医師・看護師・コメディカルの専門性向上として価値があります。平時における感染対応訓練(PPE着脱・ゾーニング・患者動線管理)は、一般の院内感染対策(MRSA・ノロウイルス等)の品質向上にも直結します。「感染症指定を持つ病院」というブランドが採用・教育面でプラスに機能することもあります。

④ 次のパンデミックへのリスク管理

COVID-19の経験が示した通り、有事になってから感染症対応体制を整備することは非常に困難です。感染症病床を維持していた病院は、流行初期から患者受入できた一方、持っていなかった病院は体制整備に時間・コストを要しました。次のパンデミックや大規模感染症流行に備えるリスク管理の観点では、指定の維持に一定の価値があります。

感染症指定の「維持・縮小・返上」判断マトリクス

感染症指定の縮小・返上手続きと注意点

財務的負担が大きく、かつ地域に代替体制がある場合には、縮小や返上を検討することも経営判断として合理的です。実務上の手続きと注意点を整理します。

基本的な手続きの流れ

感染症指定医療機関の指定は都道府県知事による指定ですので、変更・縮小・返上にはまず都道府県の担当部署(医療政策課等)への相談が必要です。手続きの具体的な流れは都道府県ごとに異なりますが、一般的に以下のステップが想定されます。

  1. 都道府県担当窓口への事前相談(地域の体制・計画との整合性確認)
  2. 近隣の代替指定病院の有無・受入余力の確認
  3. 医療計画の修正が必要かどうかの確認
  4. 正式な変更申請・届出書類の提出
  5. 病床種別変更の届出(病院開設許可の変更が必要な場合)
  6. 設備の改修工事(陰圧室を別用途に転用する場合)

注意すべき4つのポイント

第一に、地域医療計画との整合性です。 都道府県の医療計画において感染症病床数・指定病院数が定められており、返上によって地域体制が脆弱化すると判断された場合は、返上が認められないことがあります。事前相談で「返上は可能か」という感触を早期につかむことが重要です。

第二に、病床削減の規制との関係です。 感染症病床を他の種別病床に転換する場合は、医療法の病床規制(基準病床数)との関係も確認が必要です。地域によっては、病床を「増やせない」制約があることも覚えておく必要があります。

第三に、スタッフへの影響です。 感染症対応を専門とするスタッフがいる場合、役割・配置の変更について丁寧な説明と対応計画が求められます。特に、長年にわたって感染対応に携わってきたスタッフへの配慮は、離職防止の観点からも重要です。

第四に、設備転用コストです。 陰圧室を通常の病室に転用するためのリノベーション費用は、病院の規模・設備の状況によりますが、数百万円から数千万円になることもあります。このコストと、維持した場合の年間コストを比較した上で、経済的合理性を計算することが判断の前提となります。

感染症指定縮小・返上の検討チェックリスト

平時の有効活用と次のパンデミックへの備え

感染症指定を維持する決断をした場合、「平時にも少しでも資源を活かしたい」という視点での工夫が経営効率の改善につながります。また、次の有事に備えてBCPと統合した対応体制を整備しておくことが、地域の信頼を高める上でも重要です。

訓練場・教育施設としての活用

感染症病床・陰圧室は、院内感染対策の実践訓練場として最も効果的に活用できます。PPE(個人防護用具)の正しい着脱手順、患者搬入時のゾーニング、隔離中の患者対応シミュレーション、病院外からの患者受入フローの確認などは、実際の陰圧室設備を使うことでよりリアルな訓練が実施できます。年2〜3回の実践訓練は、有事対応力の維持に直結します。

院内感染対応のバックアップ機能

一般病棟での多剤耐性菌(MRSA等)感染患者の隔離が困難になった場合や、感染性が高い患者の一時的な受入への活用など、通常の院内感染対応の「バックアップ病床」として機能させることができます(感染症の種別・法令上の要件は個別確認が必要です)。感染制御チーム(ICT)との連携で、陰圧室の有効活用方針を決めておくと実務がスムーズになります。

BCPへの統合 — フェーズ別対応計画の策定

感染症病床を持つ病院のBCP(事業継続計画)には、感染症フェーズごとの対応計画を明文化することを強くお勧めします。

  • 発動基準の明文化:どの感染症レベル(注意報・警報・緊急事態)で陰圧室を稼働させるかを事前に決めておく
  • スタッフのローテーション計画:感染対応専従チームの構成・交替サイクルをあらかじめ決める
  • PPEの備蓄量と補充ルート:平時から定期的に在庫チェックし、有事に調達が間に合わない事態を防ぐ
  • 都道府県・保健所との連絡フロー:フェーズ別の報告・連絡先・手順を文書化する

有事になってから「誰が何をするか」を決めていては遅く、感染対応の混乱が院内全体に波及します。BCPに感染症対応を組み込むことで、スタッフが落ち着いて行動でき、一般患者への影響も最小化できます。

感染症病床のBCP統合タイムライン

COVID-19の経験から最も重要な教訓は、「有事になってから準備しても間に合わない」ことです。感染症指定を維持する病院は、平時の低稼働コストを「有事への保険料」として位置づけ、その価値を経営会議・理事会で定期的に再確認することが、長期的な経営判断の質を高めます。

まとめ

感染症病床の病床利用率は、一般病床の利用率とは本質的に異なる視点で捉える必要があります。平時の低稼働は「病院の怠慢」でも「経営の失敗」でもなく、制度が意図した備えの状態です。しかし、その維持コストは決して小さくありません。

理事長・院長・事務長が取り組むべきことは次の4点です。

① 維持コストの定量化:感染症病床の年間固定費を数字で把握し、補助金収入と比較する。

② 地域での役割の再確認:都道府県の医療計画における自院の位置づけと、近隣に代替できる病院があるかを定期的に確認する。

③ 補助金・交付金の最大活用:都道府県・WAMへの申請状況を点検し、活用できる制度を漏れなく使う。

④ BCPへの統合:感染症病床を事業継続計画の中に組み込み、平時訓練・フェーズ別対応・スタッフ教育の体制を整える。

感染症指定の返上・縮小は選択肢のひとつですが、地域医療の体制・行政との関係・次のパンデミックへのリスクを総合的に判断した上での意思決定が求められます。赤字病院にとって、感染症病床という不採算資源をどう整理するかは、ダウンサイジングや機能転換と合わせて中期的な経営計画の中に位置づけることをお勧めします。

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出典・参考文献

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