病院経営において、「どの診療科に医師を採用するか」は理事長・院長が下す判断のなかでも、最も大きな経営インパクトを持つものの一つです。医師を1人採用すれば、年間1,500万円から3,000万円超の人件費が固定的に発生します。その費用を回収できる診療収益を本当に見込めるのか、数字で確認してから採用を決めている病院は、実はまだ多くありません。
病院のコストの5〜6割は人件費です(四病協2024年度病院経営定期調査・最終報告が示す経営の実態でも、人件費比率の高さは赤字病院の共通課題として挙げられています)。そのなかでも医師は単価が高い人材であり、1人の採用判断を誤ると、診療科単位で慢性的な赤字構造に陥り、病院全体の財務を圧迫します。逆に、適切な採用判断と採用後の体制整備ができれば、新たな外来収益・入院収益を創出し、赤字からの脱却に向けた力強い一手となります。
本記事では、診療科別の損益構造を把握したうえで、医師採用の費用対効果を評価する実務的フレームを提示します。採用前に確認すべき数値と考え方、採用後に収支評価のサイクルを回す方法を、理事長・院長・事務長が活用できる形でまとめました。
医師採用の経済的インパクトを数字で把握する
医師を1人採用すると、どれだけの収益が必要になるでしょうか。まず費用側から整理します。
内科・外科系の常勤医師の年収は、施設の規模・地域・専門性によって異なりますが、一般に1,500万〜2,500万円程度とされています。これに病院が負担する社会保険料(健康保険・厚生年金・雇用保険の事業主負担分)を加えると、実質的な総人件費は年間1,800万〜3,000万円超になることが多いと言われています。希少性の高い産婦人科・小児科・救急科などでは、さらに高い処遇が常態化している地域もあります。
一方、収益側はどうでしょうか。外来診療であれば、1日あたり外来患者数と1患者あたり診療報酬の積で推計できます。患者1人あたりの診療収益は、初診・再診・検査・投薬の組み合わせによって大きく異なるため、自施設の診療報酬明細(レセプト)データで実態を確認することが不可欠です。稼働日数をかけた年間外来収益が、採用した医師の人件費を上回るかどうかが基本的な判断軸になります。
入院系であれば、病床利用率と入院単価がカギです。帝国データバンク2024年度調査によると、民間病院約900法人のうち61.0%が営業赤字という厳しい状況にあります。病床を持つ病院では、医師採用によって入院稼働率がどれだけ向上するかが採用効果の核心です。検証済みの事例として、200床・入院単価5万円の病院では病床利用率が1ポイント上昇するだけで年間約3,650万円の増収になります(2床×5万円×365日の単純計算)。医師採用によってこの水準の増収が見込めるなら、採用コストの回収可能性は十分あると判断できます。
採用を検討する前に、まず自院の「診療科別損益」を把握しているかどうかを確認してください。 合計値しか見えていない段階では、どこに投資すれば効果があるか判断できません。
診療科別損益を把握する — 採用判断の前提となるデータ
医師採用の費用対効果を評価するには、現状の診療科別損益が見えていることが前提です。残念ながら、病院経営の現場では診療科別の収益・費用が「全体合計」でしか管理されておらず、どの診療科が稼いでいて、どこが赤字かが把握できていない施設が少なくありません。
診療科別損益分析で最低限把握すべき指標は以下の通りです。
| 指標 | 内容と確認方法 |
|---|---|
| 診療科別外来収益 | 科別レセプトの月次集計。電子カルテやHISから抽出 |
| 診療科別入院収益 | 入院患者数×平均入院単価(DPCコードごとの集計) |
| 診療科別医師人件費 | 常勤・非常勤すべての月次費用(給与台帳から集計) |
| 診療科別材料費 | 薬剤費・診療材料費のうち当該科への帰属分 |
| 貢献利益 | 収益 − 直接費(人件費+材料費)。科別評価の起点 |
間接費(光熱費・建物減価償却・事務管理費など)の配賦方法は施設によって異なり、配賦基準次第で結果が変わります。はじめは**直接費だけを引いた「貢献利益」**で各診療科を比較するのが実務的です。貢献利益がマイナスの診療科は、最低限の直接費すら回収できていないことを意味します。
ここで重要な注意点があります。赤字診療科=即廃止ではないということです。救急医療・産科・小児科など、採算を度外視して維持している診療科は、地域医療の要として戦略的に存続させることが正しい判断の場合もあります。一方で、「なんとなく続けている」「以前から先生がいるから」という理由だけで赤字診療科を維持し続けている場合は、経営的な見直しが必要です。
また、「この診療科を強化したいから医師を採用する」という場合も、採用後に貢献利益がどう変化するかを先に試算することが経営の基本です。採用によって増える収益が採用コストを上回るかどうか、数字で確認することを習慣にしてください。
損益分岐点の試算 — 採用コストが回収できる条件
採用したい医師の処遇が決まったら、次に「損益分岐点」を試算します。これは、採用コストを回収するために、その医師がどれだけの診療収益を生む必要があるかを数値化するものです。
損益分岐点(年間必要収益)= 医師人件費(社会保険料込み) ÷ 貢献利益率
貢献利益率は「収益から直接費を引いた残りの割合」であり、施設・診療科・患者構成によって大きく異なります。この比率は外部の一般的な数字ではなく、自施設の実績データで確認してください。ここでは試算の考え方として使います。
仮に年間人件費が2,400万円の医師を採用し、その診療科の貢献利益率が60%と試算されるならば、損益分岐点は約4,000万円(2,400万円÷0.6)となります。つまり、この医師が担当する診療が年間4,000万円以上の収益を生まなければ、貢献利益ベースでの回収は見込めません。
さらに外来患者数に換算することもできます。その診療科の1患者あたり診療収益を5,000円と仮定するならば、年間8,000人(4,000万円÷5,000円)の外来患者が必要です。稼働日数を240日とすると、1日あたり約34人の外来患者が必要という計算になります。これが現実的に可能な水準かどうか、地域の患者数・競合病院の状況と照らし合わせて判断します。
入院系では、この計算に病床利用率の改善効果を組み込みます。採用する医師が担当する病床の稼働率が何ポイント改善するか、それが収益にどう反映されるかを試算します。前述の通り、200床・入院単価5万円の病院で病床利用率が1ポイント上昇すれば年間約3,650万円の増収ですから、採用コストとの比較が可能です。
この試算はあくまで概念的なものであり、実際の数値は自施設のデータで確認する必要があります。しかし「採用前に数字で見通しを確認する習慣」を持つことが、経営の判断精度を高める第一歩です。
採用判断のフレーム — どの診療科に投資すべきか
損益分岐点が試算できたら、次は「その採用判断が経営的に正しいか」を判定するフレームを持ちましょう。採用優先度を検討するうえで、「収益見込みの大きさ」と「採用のしやすさ(供給の豊富さ・処遇相場の現実性)」の2軸で診療科を整理すると、判断が明確になります。
採用を積極的に進めるべき状況(一般的な基準として):
- 既存の外来患者から「〇〇科を診てほしい」という明確な需要が紹介元や患者アンケートで確認できている
- 地域の競合病院がその診療科を縮小・撤退しており、患者が流入する余地がある
- 入院収益との連動が強い手術・処置系で、医師採用により病床稼働率の向上が見込める
- 損益分岐点試算の結果、採用コストを3年以内に回収できる見通しが立っている
慎重に判断すべき状況:
- 患者需要が不明確で、どの程度の外来・入院収益が見込めるか試算できていない
- 医師の採用市場での需給が逼迫しており、高い処遇を提示しても確保が難しい
- 施設・設備が診療科の要件(手術室・ICUなど)を満たしておらず、追加投資が必要
- 損益分岐点試算の結果、採用コスト回収に5年以上かかる見通し
採用形態の選択も重要です。需要が読めない段階では、**まず非常勤(週1〜2回の外来)から始め、患者数を確認したうえで常勤化を検討する「段階採用」**が安全です。非常勤採用は初期コストが低く、需要の確認ができるため、採用ミスマッチのリスクを大幅に下げられます。GemMed(2024年)が示す経営実態においても、病院の医業赤字率74.6%・経常赤字率65.6%という厳しい環境を考えると、採用判断の精度を高めることは経営上の急務です。
医師の定着率を高める処遇設計
採用コストの管理において、見落とされがちなのが「採用後の離職コスト」です。医師を採用した後、数年以内に離職されると、採用費・教育研修費・引継ぎロス・再採用費が重複して発生します。採用判断の質を高めると同時に、定着率を高めるための処遇設計が採用コスト管理の重要な要素です。
医師の定着を高めるための処遇設計のポイントは次の通りです。
インセンティブの設計: 基本給に加え、診療件数・専門外来実績に連動する変動給を組み合わせる設計は、医師の主体的な診療拡大を促します。ただし、インセンティブが過度になると診療の質に影響する可能性もあるため、設計は慎重に行う必要があります。
学術・研究活動への支援: 若手・中堅医師にとって、学会参加費の補助・論文執筆への理解・研究時間の確保は、基本給と同等以上に定着に影響するとされています。大学病院との連携や専攻医プログラムの受け入れは、医師確保の長期的な基盤にもなります。
医師事務作業補助者の配置: 令和8年度診療報酬改定においても、医師・多職種協働の観点から加算の拡充が行われています(看護・多職種協働加算1:277点・加算2:255点の新設)。医師の行政書類作成・電子カルテ入力の補助を行う医師事務作業補助体制の整備は、医師の負担軽減と定着に直結します。
院内のカルチャーと関係性: 給与水準が同等なら、理事長・院長・他の医師・看護師との人間関係の良さが定着の決め手になると言われています。採用面接では、施設見学や他職種との交流機会を設け、医師が「この病院で働きたい」と感じられる環境を示すことが重要です。
採用後の収支評価サイクルを回す
医師採用の判断精度を高めるには、採用後に「実際どうだったか」を評価するサイクルを組み込むことが不可欠です。多くの病院では「採用して終わり」になってしまい、採用コストが回収できたかどうか、次回の採用判断に何を活かすかが検討されていません。
採用後3・6・12ヶ月の節目に、経営会議や院内の財務報告で以下を確認する体制を作ることをお勧めします。
- 当初試算した「必要月次収益」を達成しているか(未達なら要因分析)
- 外来患者数の増加ペースは計画通りか(開院後3ヶ月は患者定着までの猶予期間を考慮)
- 採用に伴うコスト(人件費以外の材料費・設備費)が想定内か
- 医師本人の満足度・定着意向はどうか(定期面談で確認)
6ヶ月時点で当初試算の50%未満の収益しか出ていない場合は、当初の前提を再検討する必要があります。常勤を非常勤に変更する、診療科の方向性を見直す、または紹介強化により患者数を増やすといった対応を早期に取ることで、損失の拡大を防ぐことができます。
帝国データバンクの2025年調査では、医療機関の倒産66件・休廃業解散823件が2年連続で過去最多を更新しています。医師採用を含む人件費の投資判断を誤り続けることは、経営の持続可能性を直接脅かします。だからこそ、採用判断と採用後評価を数字で管理する仕組みが求められています。
まとめ
医師採用は、病院経営において最大の固定費増加要因の一つです。感情や縁、「とにかく先生が欲しい」という焦りだけで採用を決めると、診療科単位の赤字が固定化し、病院全体の財務を圧迫します。
本記事で紹介したフレームを活用し、以下のステップで採用判断を進めてください。
- 現在の診療科別損益(貢献利益)を把握する
- 採用候補の診療科の地域需要と競合状況を確認する
- 採用人件費÷貢献利益率 = 必要年間収益を試算する
- 常勤か非常勤か、段階採用の可否を検討する
- 採用後3・6・12ヶ月で収益貢献を評価する仕組みを作る
医師採用も「投資判断」として数字で評価する文化を醸成することが、厳しい経営環境を生き残るための病院経営の基盤となります。人件費コントロールと診療収益の最大化を両立させる経営を、数字から始めてください。
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出典・参考文献
- 四病院団体協議会 2025年度 病院経営定期調査 結果報告(2025年11月)
- GemMed 医業赤字74.6%・経常赤字65.6%(四病協最終報告の解説)
- 帝国データバンク 全国「病院経営」動向調査(2024年度)
- 帝国データバンク 医療機関の倒産・休廃業解散動向調査(2025年)
- GemMed 2026年度改定答申: 基本診療料アップ・物価対応料新設・ベースアップ評価料拡充
- 人件費をベースとした新たな病院経営指標を用いた国立病院機構における5年間の分析(日本医療マネジメント学会雑誌)
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