「賃上げをしなければ人が辞める。しかし原資がない」——そのジレンマに正面から向き合う施策が、令和8年度診療報酬改定(2026年6月施行)で強化されたベースアップ評価料です。入院ベースアップ評価料は最大250点へと拡充され、新設の看護・多職種協働加算(加算1: 277点、加算2: 255点)と組み合わせることで、職員の処遇改善を診療報酬の側面から後押しする枠組みが整いました。

四病院団体協議会(四病協)の2025年度病院経営定期調査によると、**病院の医業赤字は74.6%、経常赤字は65.6%**という厳しい実態があります。同時に、帝国データバンクの2025年調査では医療機関の倒産・休廃業解散が2年連続で過去最多を更新しており、診療所経営者の56.7%が70歳以上という後継者不在の問題も重なっています。こうした環境のなかで、人件費上昇圧力を何とか診療収益で吸収しながら職員を定着させるための実務知識は、今や病院経営の最優先課題の一つです。

本記事では、ベースアップ評価料の成立経緯と令和8年度の変更点、院内の算定体制整備、賃上げ原資の試算方法、そして人材定着戦略との統合設計まで、理事長・院長・事務長が今すぐ動ける実務レベルで整理します。

ベースアップ評価料の拡充経緯タイムライン

ベースアップ評価料の成立経緯と令和8年度の大幅拡充

2024年6月施行の令和6年度診療報酬改定で、日本の診療報酬制度に初めて**「ベースアップ評価料」**が登場しました。物価上昇・最低賃金の継続的引き上げ・民間企業との賃金格差拡大という三重の圧力を受けた医療現場への対応として、厚生労働省が設けた異例の施策です。

令和6年度段階では、「入院ベースアップ評価料」と「外来・在宅ベースアップ評価料」が段階的な点数構造で設定されました。算定した点数分の収益は、対象職員の基本給等の引き上げに充てることが要件とされており、一時的な手当への流用は認められていません。この「使途限定型の評価料」という性格が、通常の診療報酬加算と大きく異なる点です。

そして2026年6月施行の令和8年度改定では、入院ベースアップ評価料が最大250点に拡充されました。改定率の内訳を見ると、本体+3.09%のうち**賃上げ対応だけで+1.70%**を占めており、国が処遇改善にいかに重点を置いているかが数字に表れています。GemMed(医療経営情報サービス)の解説でも、この賃上げ対応分が今改定の最大のトピックと位置づけられています。

加えて、看護・多職種協働加算(加算1: 277点、加算2: 255点)が新設されました。薬剤師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・社会福祉士等の多職種が参加する協働体制を整備した病院に、追加の評価が得られる設計です。これは単なる賃上げ支援を超えた「チーム医療の経営的インセンティブ」として機能します。

令和8年度の評価体系全体像 — 入院・外来・多職種加算の構造

令和8年度のベースアップ評価料体系は、大きく3つの柱で構成されています。

令和8年度改定 ベースアップ評価料の体系図

第1の柱:入院ベースアップ評価料(最大250点)
病棟看護師をはじめとする入院部門スタッフの処遇改善を主な目的とした評価料です。令和8年度改定で最大250点へ拡充されました。点数の段階設定は、賃上げ計画の規模・対象職種の範囲・施設要件の充足状況によって変わります。算定可能な点数は施設ごとに異なるため、「最大250点」はあくまで上限の目安として捉え、算定可否と実際の点数は地方厚生局への確認・届出を経て確定させることが必要です。

第2の柱:外来・在宅ベースアップ評価料
外来部門・在宅医療部門の看護師や医療職を対象とした評価料です。入院評価料と並行して算定することで、病棟・外来双方のスタッフへ賃上げの恩恵を届けることができます。外来患者数が多い病院では、この評価料の原資も無視できない規模になります。

第3の柱:看護・多職種協働加算(新設)
加算1(277点)と加算2(255点)に区分されており、多職種が一体となったケアの提供体制を評価する新加算です。算定には多職種協働の記録・プロトコル整備が関わってくるため、すでに多職種カンファレンスを実施している病院は、記録の文書化から取り組むと効率的です。詳細な算定要件は施設基準を確認してください。

以下の表に、令和8年度の主な評価項目の概要を整理します。

評価料・加算の種類 主な対象職種 令和8年度の変更
入院ベースアップ評価料 病棟看護師・コメディカル等 最大250点へ拡充
外来・在宅ベースアップ評価料 外来看護師・医療職等 継続・要件見直し
看護・多職種協働加算(加算1) 多職種協働体制を整備した施設 新設 277点
看護・多職種協働加算(加算2) 同上(要件区分が異なる) 新設 255点

賃上げ原資の試算と職員への配分設計

ベースアップ評価料を算定するにあたり、院内で「どれだけの原資が生まれ、どのように職員へ配分するか」を事前に試算しておくことが、実務の出発点です。

賃上げ原資の試算フロー

病院のコストの5〜6割は人件費が占めており、ベースアップ評価料の増収は直接この部分の増加を補填する設計になっています。しかし、増収をそのまま均等に分配するか、特定職種に集中させるかによって、職場内の公平感と離職リスクが大きく変わります。

試算のステップ1:対象入院患者数・入院日数の把握
ベースアップ評価料は入院日数に応じて算定されます。直近の延べ入院日数を医事データから取り出し、試算のベースとします。

試算のステップ2:算定可能点数の幅を2シナリオで想定
施設要件を医事課・看護部・事務局で確認し、「現時点で算定可能な点数」と「要件を整備した場合に算定できる点数」の2シナリオを設定します。この二段階の試算が、改善投資の優先順位づけにも役立ちます。

試算のステップ3:対象職種と配分方針の決定
要件として原資は基本給等の引き上げに充てることが求められます。看護師・准看護師・コメディカルの現行給与水準を洗い出し、市場相場(都道府県別の看護師平均給与等)との乖離が大きい職種から優先的に改善することが、離職抑制の観点から効果的です。

試算のステップ4:給与テーブルへの恒久的な反映
一時的な手当増額ではなく、給与テーブル(基本給・資格給)の改定として設計することが、「この病院で働き続けるメリット」の実感につながります。毎年の改定に合わせて見直す「賃金改定サイクル」を院内に設けると、継続的な運用がしやすくなります。

なお、賃上げを恒久的に実施した後にベースアップ評価料の算定が取れなくなった場合、人件費は固定費として残ります。病床利用率の変動リスク(200床・入院単価5万円の病院では利用率1ポイントで年間約3,650万円の増減)を見据えた財務バッファーの設計が、賃上げ実施の前提として必要です。

算定要件を満たすための院内体制整備 — 実務チェックリスト

ベースアップ評価料は算定要件を満たした上で地方厚生局へ届出を行って初めて請求できます。整備すべき項目を以下に整理します。

算定要件 院内体制チェックリスト

①賃上げ計画の策定(経営企画・人事)
対象職種・賃上げ目標額・実施スケジュールを文書化した「賃上げ計画書」を策定します。この計画書は地方厚生局への届出資料の一部になるほか、職員への説明材料としても機能します。

②地方厚生局への届出(医事課)
算定開始前に施設基準の届出が必要です。届出書類の内容や提出時期については、所轄の地方厚生局に事前確認を行うことをお勧めします。届出が遅れると算定開始が翌月以降にずれ込むため、早めの対応が重要です。

③給与引き上げ実績の記録管理(人事・総務)
評価料の算定後、実際に職員の基本給等が引き上げられているかどうかを記録・管理する体制が求められます。給与台帳・賃金台帳の整備と保管期間の確認を行い、実地指導に備えます。

④多職種協働加算を算定する場合の体制整備(各診療部門)
看護・多職種協働加算を目指す場合は、多職種が参加するカンファレンスの定例化と記録の整備が関わってきます(詳細な算定要件は施設基準を確認が必要)。すでに多職種連携の実績がある病院は、記録の文書化と請求との連携から始めると効率的です。

⑤医事課との請求連携フロー(医事課・看護部)
診療報酬の算定漏れは、賃上げ原資の計画を直撃します。入院患者ごとの評価料の請求漏れを防ぐため、医事課と看護部が月次で確認する体制を設けることが重要です。

以下のチェックリストを活用して、現状の整備状況を把握してください。

確認項目 担当部署 整備状況
賃上げ計画書の策定・文書化 経営企画・人事
地方厚生局への届出(完了日確認) 医事課
対象職種の給与テーブル見直し 人事・総務
給与引き上げ実績の記録体制 人事・総務
多職種連携記録の整備(加算希望時) 各診療部門
医事課との月次請求確認フロー 医事課・看護部

ベースアップだけでは不十分 — 定着施策との統合設計

給与を上げれば人が辞めなくなる——この仮定は部分的にしか正しくありません。看護師・医療職の離職理由のトップには、給与水準だけでなく職場の人間関係・業務負荷・キャリアの見通し・管理職のマネジメントスタイルが常に上位に挙がっています。ベースアップ評価料による処遇改善を核としながら、周辺の定着施策を統合的に設計することが、人材定着の実を上げるために不可欠です。

人材定着 統合施策マトリクス

医療業の後継者不在率は6割を超え、経営者の高齢化も著しい現状において、看護師1名の離職が引き起こす連鎖(残存職員への業務集中→疲弊→追加離職)は、病院経営にとって取り返しのつかないダメージになりえます。採用にかかるコスト(紹介料・面接工数・新人教育期間中の生産性低下分)を考えると、定着率の改善は採用強化よりも費用対効果が高い施策です。

定着施策を設計する際は、時間軸を3段階に分けることが実務上有効です。

短期(〜1年):処遇改善の可視化と透明な対話
ベースアップ評価料の活用による賃上げを実施したら、「なぜこの金額が上がったのか」「どの評価料を活用しているのか」を職員に説明します。透明性のある対話が、「病院がきちんと処遇改善に取り組んでいる」という信頼感を生みます。反対に説明なく給与が上がっても、「自分が評価されている」という実感は薄く、定着効果は半減します。

中期(1〜3年):キャリアパスの整備とスキル支援
専門看護師・認定看護師・特定行為研修修了看護師などの取得支援制度を整備します。「この病院にいることで自分のキャリアが広がる」という実感が、中堅スタッフの長期定着につながります。研修費用の補助・学習時間の確保・取得後の処遇差別化がセットで設計されると効果的です。

長期(3年以上):管理職のマネジメント力強化
病棟・部門単位の離職率を左右する最大の変数は、管理職(師長・科長クラス)のマネジメントスタイルです。1on1面談の定例化・心理的安全性の醸成・業務負荷の可視化と均等化といった施策は、数値効果が出るまでに時間がかかりますが、組織風土として定着すると長期的な競争優位になります。

令和8年度改定後の経営優先順位と財務への影響

令和8年度改定全体を経営視点で見ると、ベースアップ評価料の拡充以外にも収益改善の要素が重なっています。

令和8年度改定が病院経営に与える主な影響

急性期一般入院料は1,688点から1,874点(急性期一般入院料1の場合)へと大幅に増点されており、物価対応料(急性期一般入院料1で58点/日など)も新設されました。地域一般入院料1は1,176点から1,290点、療養病棟入院料1は1,964点から2,035点へとそれぞれ改定されています。

これらの増収を財務上どう配分するかが、経営判断の核心です。増収分が全て人件費増加に吸収されると、設備の老朽化対策・借入金の返済・将来の内部留保が積み上がらないリスクがあります。一方で、増収を人件費改善に回さなければ、人材定着が進まず長期的な収益の土台が崩れます。

実務上は、増収分の**配分方針を明文化した「財務方針書」**を経営陣で合意しておくことが重要です。「増収分の○%を賃上げへ、△%を設備更新積立へ、残りを借入金返済へ」といった方針が共有されていると、院内の理解が得やすく、意思決定のスピードも上がります。

また、福祉医療機構(WAM)の調査では、病院の経営状況は機能区分ごとに大きく異なることが示されています。自院の機能区分における平均的な人件費率・医業利益率と比較しながら、「業界標準に対して自院はどの位置にあるか」を把握した上で賃上げ幅を設定することが、持続可能な経営の条件です。

さらに重要なのが算定漏れの防止です。診療報酬の算定漏れが常態化すると、賃上げのために必要な原資が計画通りに得られなくなります。月次の算定状況レビューを院内のルーティンに組み込み、「取れるはずの点数が取れていない」状況をすぐに発見できる体制を整えてください。

まとめ

令和8年度診療報酬改定のベースアップ評価料(最大250点)は、人件費上昇圧力と慢性的な人材不足に苦しむ病院経営にとって、数少ない「公的な賃上げ原資」です。ただし、算定するだけでは人材定着は実現しません。「評価料の原資を活かしたベースアップ → キャリア支援・職場風土改革 → 採用力の強化」という好循環を設計し、財務方針・算定体制・定着施策の三位一体で進めることが、この改定を最大限に活用する経営の姿です。

まず今週中にできることとして、医事課と看護部のリーダーを集め、「現在の算定状況と未算定・未届出の評価料がないか」を確認するところから始めましょう。算定漏れの発見は、改善への最短距離です。

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出典・参考文献

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