経常赤字を抱える病院が全体の65.6%に達したと四病院団体協議会の2024年度最終報告が示す今、「今期の損益をどう改善するか」という短期思考に終始している病院が少なくありません。しかし経営の持続性を左右するのは、「10年後・20年後、自院の診療圏にどれだけの患者がいるか」という中長期の需給見通しです。その起点となるのが診療圏分析です。
診療圏分析とは、自院が実際に患者を集めているエリアの人口規模・高齢化率・競合状況を体系的に把握し、経営判断の材料にする手法です。帝国データバンクの2025年調査では医療機関の倒産が66件・休廃業解散823件と2年連続過去最多を記録しており、この多くは診療圏の将来性を見誤ったまま経営を続けた結果とも言えます。本稿では理事長・院長・事務長が押さえておくべき診療圏分析の基礎と実践手順、そして分析結果を戦略に落とし込む方法を解説します。
診療圏とは何か — 一次・二次・三次の定義
診療圏(しんりょうけん)とは、医療機関が患者を主として集める地理的範囲のことです。医療法では都道府県が定める「二次医療圏」「三次医療圏」として制度化されており、診療報酬の基準や病床規制、地域医療構想の計画単位になっています。実務では次の3段階に整理すると分かりやすいです。
| 区分 | 目安の範囲 | 主な対象 |
|---|---|---|
| 一次診療圏 | 半径2〜5km(徒歩・自転車・自家用車で15〜20分) | 外来患者の大半(核心圏) |
| 二次診療圏 | 半径10〜30km(自家用車で30〜60分) | 入院患者・救急・専門外来。医療法上の「二次医療圏」に概ね一致 |
| 三次診療圏 | 都道府県単位 | 高度・特殊医療(がんセンター・大学病院等) |
外来主体のクリニックと競合するのは主に一次診療圏です。一方、入院機能を持つ病院が経営戦略を考えるうえで最も重要なのは二次診療圏です。都道府県が策定する地域医療構想も二次医療圏を単位として病床の将来必要量を示しており、病院の病床規制・整備計画はこの枠組みに強く縛られています。
自院がどの二次医療圏に属しているかは厚生労働省のウェブサイトで確認できます。二次医療圏の人口・面積・病床数・既存医療機関数を把握することが診療圏分析の第一歩です。患者の実際の住所データと行政区分としての医療圏が必ずしも一致しないこともあるため、両者を照らし合わせながら「自院の実効診療圏」を確認することが重要です。
診療圏分析で使えるデータ源
診療圏分析に必要なデータは、大きく「人口データ」「医療需給データ」「競合データ」の3種類に分かれます。いずれも無料の公的統計や院内データで賄えるため、外部コンサルに頼らなくても基礎分析は自力で実施できます。
人口データ
基本は国勢調査・住民基本台帳(総務省)です。自院が立地する市区町村の総人口・年齢別人口・将来推計人口を取得します。市区町村の担当窓口や総務省統計局サイトから無料でダウンロードできます。高齢化率(65歳以上人口比)と75歳以上比率に注目することで、今後の入院需要の変化方向を読み取れます。
医療需給データ
厚生労働省が毎年公表する医療施設(動態)調査・病院報告は、病院・診療所数、病床数、入院患者・外来患者の延べ数を都道府県・二次医療圏単位で把握するための基本資料です。この調査により、自院の診療圏における病床の充足状況(過剰か不足か)の概観が分かります。直近(令和6年)では全国の病床利用率が全病床77.0%・一般病床73.3%と公表されており、地域別にはさらに差異があります。損益分岐点は一般に80%前後と言われるため、地域平均を自院と対比することで経営リスクの大きさを判断できます。
院内データ(患者住所データ)
最も精度が高い一次診療圏把握の手段は自院のレセプトに含まれる患者住所です。患者の郵便番号ベースで割合を集計すると、「実際にどの市区町村からどの程度の患者が来院しているか」が可視化できます。外来と入院では診療圏の重心が異なることも多く、機能別に分析することを推奨します。特定の市区町村からの患者が急減していれば、近隣に競合医療機関が開設された可能性を示唆することもあります。
競合データ
同じ二次医療圏内に存在する競合病院の情報は、厚生労働省の医療施設調査のほか、都道府県の医療機能情報提供制度(G-MIS)などで公開されています。病床数・標榜診療科・入院基本料の種別(急性期/回復期/療養等)が確認できます。公立病院については各自治体の公表資料から財務状況も把握可能です。
人口動態が示す中長期リスク
診療圏分析で最も重要な視点のひとつが人口動態の将来推計です。現在の患者数が安定していても、10〜20年後に診療圏人口が大幅に減少する地域では、収益の構造的縮小が避けられません。
地方部における人口減少の加速
地方・郊外の多くの二次医療圏では、すでに人口減少が進行中です。特に生産年齢人口(15〜64歳)の減少は、外来需要・労働力確保の両面に影響します。一方で75歳以上の後期高齢者は当面増加するため、回復期・療養・在宅医療の需要は維持・拡大する傾向があります。地域によっては「外来は減るが入院は増える」という需要構造の転換が起きており、病床機能の組み換えが急務になっているケースも見られます。
高齢化率と診療報酬の関係
高齢化率が高い地域では、慢性疾患(生活習慣病・認知症・整形外科疾患等)の外来需要が堅調に推移します。また、後期高齢者が増えると入院の長期化傾向が生じ、病床回転数の低下から病床利用率に影響が出る場合があります。病床200床・入院単価5万円の病院では病床利用率1ポイントの変動が年間約3,650万円の増減に相当するため、人口動態から利用率を予測することには直接的な財務的意義があります。
倒産・休廃業の増加という現実
帝国データバンクの2025年調査では、医療機関の倒産が66件・休廃業解散823件と2年連続過去最多を記録しています。診療所経営者の56.7%が70歳以上であることも示されており、後継者不在率6割超という現状と合わさると、近い将来に診療圏内のクリニックが消滅するリスクを示します。これは紹介元が減るという脅威である一方、患者を取り込む機会でもあります。
民間病院においても、帝国データバンクの2024年度調査では約900法人の61.0%が営業赤字(前年54.8%)と急速に悪化しており、診療圏の将来性を把握しないまま現状維持を続けることのリスクは高まっています。
競合病院の把握と機能分化の読み方
診療圏分析の第二の柱は競合分析です。同じ二次医療圏内にある病院が果たす機能・規模を把握することで、自院のポジショニングと差別化戦略が明確になります。
機能別で競合を整理する
競合を「規模(病床数)」と「機能(急性期・回復期・療養・精神科・地域包括ケア等)」の2軸で整理すると、自院が実際に患者を奪い合っている相手が見えてきます。機能が異なれば直接競合ではなく、紹介・逆紹介で連携できるパートナーになります。たとえば、急性期病院と回復期リハビリテーション病棟を持つ病院は競合ではなく連携先です。地域医療構想が推進する「機能分化と連携の強化」は、まさにこの競合・連携マップを整理した上で自院の役割を決める作業に他なりません。
近隣の撤退・廃院は機会になりうる
帝国データバンクのデータが示すように、休廃業・閉院は増加傾向にあります。診療圏内の競合病院が閉院・縮小した場合、その患者の一部は自院に流入する可能性があります。事前に競合の経営状況(財務状況、後継者の有無、設備の老朽化)を把握しておくことで、受け入れ体制を整えることができます。また、競合病院や診療所のM&A・承継の機会を早期に捉えることで、自院の機能拡充につなげるケースもあります。
紹介・逆紹介ネットワークの把握
診療圏内のクリニック(かかりつけ医)からの紹介数は、急性期病院にとって重要な患者獲得チャンネルです。診療圏内にある診療所数・その標榜診療科・医師の年齢(後継者問題)を把握することで、紹介元のリスクと機会が見えます。診療所経営者の56.7%が70歳以上という現状は、紹介元クリニックが廃院・承継するリスクを近い将来に示しています。紹介元の喪失に備えた新規紹介開拓の戦略も、診療圏分析の上に立てることができます。
DPC病院か否かの把握
同じ二次医療圏にDPC対象病院が何施設あるかは、急性期競争の激しさを示す重要な指標です。DPC病院の増減は厚生労働省の公開データから追えます。急性期機能での競合が激しい地域では、回復期・地域包括ケアへの機能転換を優先的に検討する価値があります。
診療圏分析の実践手順 — 現場で使えるステップ
実際に診療圏分析を進めるための実践的なステップを以下に整理します。初めて取り組む事務長・経営企画担当者でも、このステップに沿えば基礎分析を3〜6か月で完成させることができます。
ステップ1: 自院患者住所の集計(1〜2か月)
電子カルテまたはレセプト管理システムから、過去1〜2年分の患者住所データを郵便番号単位で集計します。外来・入院別に集計し、来院者の80%が含まれる圏域を「事実上の診療圏」として地図上にマッピングします。専門のGISソフトを使わなくても、Googleマップや自治体の無料GISツールで基本的な可視化ができます。
ステップ2: 診療圏人口の把握(2週間)
ステップ1で特定した自院の診療圏(市区町村単位)の現在人口・高齢化率・将来推計人口を国勢調査や住民基本台帳から取得します。各市区町村の将来推計は多くの場合、自治体の公式サイトや総務省統計局から入手できます。10年後・20年後の推計を確認し、患者減少リスクを定性的に把握します。
ステップ3: 競合マッピング(1か月)
厚生労働省の医療施設調査・都道府県の医療機能情報公表制度を使って、自院の診療圏内にある病院・有床診療所の一覧を作成します。病床種別・病床数・標榜診療科・DPC対象病院か否かを整理し、自院との機能比較を行います。整理した情報を一枚のマトリクス表にまとめることで、議論のたたき台として活用できます。
ステップ4: 需給バランスの試算(2〜4週間)
二次医療圏の総病床数を圏域人口で割った「人口あたり病床数」を計算し、地域医療構想の将来必要病床数と比較します。過剰・不足のどちらにあるかを把握することで、今後の病床規制リスクや新規参入可能性が見えます。病床が過剰な地域では削減・転換圧力が強まる一方、不足地域では新機能の参入余地があります。
ステップ5: 分析結果の共有と戦略議論(理事会・管理職会議)
作成したデータを「人口動態マップ」「競合マップ」「需給バランス試算」の3点セットとして整理し、理事会・経営会議で共有します。「10年後にどの地域から誰を診るか」という根本的な問いを経営陣で共有することが、実効性ある戦略立案の起点です。この議論なしに病床転換・M&A・設備投資を判断することは、地図なしで航海するようなものです。
分析結果を経営戦略に落とし込む
診療圏分析は「現状把握」で終わらせず、経営判断に活かすことが目的です。分析結果から導かれる代表的な戦略アクションを示します。
病床構成の見直し
分析の結果、診療圏の高齢化が急速に進んでいる場合、急性期病床から回復期リハビリテーション病床や地域包括ケア病床への転換が有力な選択肢です。病床機能の転換は届け出手続きと診療報酬の変更を伴いますが、機能を変えることで患者層のニーズに合った収益を確保できます。一般に急性期病床は空床リスクが高く在院日数短縮のプレッシャーが大きいのに対し、回復期や地域包括ケア病床は利用率が安定しやすい特徴があります。診療圏の高齢化率が高い地域ほど、この転換の効果が出やすいと考えられます。
外来機能の方向性決定
一次診療圏内のクリニックが充実している地域では、自院の外来機能を「紹介特化型」に絞り込むことが合理的です。一方、クリニックが少なく後継者不在が進む地域では、地域のかかりつけ機能を自院が担うことで外来患者の安定確保が見込めます。診療圏分析により、どちらの方向が自院に適しているかを判断する根拠が得られます。外来の方向性を誤ると、専門外来への投資が患者を獲得できないまま終わるリスクがあります。
M&A・事業承継の判断基準に活用
診療圏の将来性(人口推移・競合状況)は、病院のM&A価格評価の重要な要素です。診療圏人口が今後20年で大幅に減少すると見込まれる地域の病院を取得する場合、収益の持続可能性を慎重に評価する必要があります。売る側・買う側のどちらにとっても、診療圏分析は交渉の根拠を明確にするツールです。逆に、人口が安定・増加している地域や、競合が撤退傾向にある地域の病院は、M&A価格が高くても長期的な投資リターンが期待できます。
地域医療連携推進法人への参加判断
診療圏内で複数の医療機関が協調する「地域医療連携推進法人」に参加することで、機能分担と経営効率化を同時に実現できる場合があります。診療圏分析によって、どの機能を自院が担い、何を連携先に委ねるかの基本設計ができます。令和8年度診療報酬改定(本体+3.09%)でも、多職種協働・連携を評価する加算が新設されており(看護・多職種協働加算1:277点/加算2:255点)、連携強化は収益上のメリットにも直結します。
在宅医療・訪問診療への参入判断
後期高齢者が増加する診療圏では、在宅療養支援病院としての機能を整備することで、外来・入院に次ぐ第3の収益源を確保できる場合があります。訪問診療参入は医師・看護師の体制整備が先決ですが、診療圏の高齢化率・既存の在宅医療提供者数を把握することで参入の余地を見極めることができます。
まとめ
診療圏分析は、難解なデータ分析ではなく「自院が誰にどこで何を提供するか」を整理する経営の基本作業です。公的統計と院内の患者住所データを組み合わせれば、外部コンサルに依存せず一定の分析を自力で行えます。
公表データが示す通り、医業赤字74.6%・経常赤字65.6%という厳しい現実は全国一律ではなく、地域ごとに需給環境は大きく異なります。診療圏の人口・高齢化・競合状況を把握した上で病床構成・外来方針・連携戦略を決めることで、短期の損益改善策が中長期のビジョンと整合した形で実行できるようになります。経営の「地図」を持って判断するか、持たずに判断するか — その差が5年後・10年後の病院の持続可能性を分けます。まずは自院の患者住所データの集計から始めてみましょう。
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出典・参考文献
- 厚生労働省 令和6(2024)年 医療施設(動態)調査・病院報告の概況
- 四病院団体協議会 2025年度 病院経営定期調査 結果報告(2025年11月)
- 帝国データバンク 全国「病院経営」動向調査(2024年度)
- 帝国データバンク 医療機関の倒産・休廃業解散動向調査(2025年)
- GemMed 医業赤字74.6%・経常赤字65.6%(四病協最終報告の解説)
- GemMed 2026年度改定答申: 基本診療料アップ・物価対応料新設・ベースアップ評価料拡充
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