「長年この法人に尽くしてきたのだから、引退のときにはそれ相応の退職金を受け取りたい」——医療法人を率いてきた理事長にとって、役員退職金は当然の願いです。ところが、いざ支給しようとすると「いくらまでなら大丈夫なのか」「税務署に否認されないか」という不安がつきまといます。役員退職金は、金額の決め方を誤ると法人税の損金に算入できず、法人にも受け取る本人にも重い税負担が残る、承継の最後の関門です。帝国データバンクの2025年の調査では、診療所経営者の56.7%が70歳以上とされ、後継者不在率も6割を超えると指摘されています。世代交代が待ったなしのいま、退職金の設計は理事長個人の問題であると同時に、法人の資金繰りと承継そのものに直結するテーマです。本記事では、医療法人の役員退職金について、適正額の考え方と税務の勘どころを実務目線で整理します。
なぜ医療法人にとって役員退職金が重いのか
一般の株式会社であれば、経営者は在任中の役員報酬に加えて、利益が出れば配当という形でも資金を受け取れます。ところが医療法人は、剰余金の配当が法律で禁じられています(医療法54条)。利益を上げても、それを配当として理事長個人に分配することはできません。この点が、医療法人の資金設計を一般企業と大きく分けます。
配当ができない以上、医療法人の経営者が法人に蓄えた成果を受け取る正規のルートは、在任中の役員報酬と、引退時の役員退職金にほぼ限られます。とりわけ退職金は、長い在任期間の功績をまとめて評価する性格を持ち、金額も大きくなりがちです。しかも税務上、退職金は「退職所得」として扱われ、勤続年数に応じた退職所得控除を差し引いた残額の2分の1だけが課税対象となる仕組みが原則です。同じ金額を毎年の報酬として受け取るより税負担が軽くなるのが一般的で、だからこそ退職金は承継設計の要になります。
一方で、金額が大きいがゆえに税務署の関心も高い項目です。四病院団体協議会の2024年度調査では医業赤字の病院が74.6%にのぼるとされるなど、経営環境が厳しいなかで、適正額を超える退職金を支給すれば、法人の資金を減らしたうえに損金にもならないという二重の痛手になりかねません。「もらえるだけもらう」ではなく「適正額を根拠を持って決める」——これが出発点です。
適正額はどう考えるか — 功績倍率法という物差し
では、いくらが「適正」なのでしょうか。実は、法律に「医療法人の理事長の退職金は◯◯円まで」という金額の上限が定められているわけではありません。実務と裁判例で長く用いられてきたのが、功績倍率法という考え方です。辻・本郷税理士法人の解説などでも紹介されているとおり、次の式で目安を算定します。
役員退職金の適正額の目安 = 最終報酬月額 × 役員在任年数 × 功績倍率
最終報酬月額は退職直前の役員報酬(月額)、在任年数はその役員として務めた年数です。ここに掛ける「功績倍率」は、役職に応じた貢献度を表す係数で、実務では昭和55年の裁判で国側が示した水準——社長(理事長に相当)3.0、専務2.4、常務2.2、平取締役1.8、監査役1.6——が、いまも広く参照される目安とされています。
ただし注意していただきたいのは、これらの倍率は法律で定められた確定値ではなく、あくまで実務上の目安だということです。倍率の高さだけで適正・不適正が自動的に決まるわけではなく、後述する複数の要素を総合して判断されます。したがって「理事長だから当然3.0を掛けてよい」と断定するのは危険で、実際の支給にあたっては税理士など専門家に確認することが欠かせません。
| 役職 | 実務で参照される功績倍率の目安 |
|---|---|
| 理事長(社長に相当) | 3.0 程度 |
| 専務 | 2.4 程度 |
| 常務 | 2.2 程度 |
| 平理事(平取締役に相当) | 1.8 程度 |
| 監事(監査役に相当) | 1.6 程度 |
医療法人の場合、理事長が同時に主たる診療の担い手であることも多く、報酬月額そのものが高めに設定されているケースもあります。最終報酬月額が高ければ算定額も大きくなりますが、その月額が在任中の貢献に見合っていたかどうかも、後々の説明材料になります。
「不相当に高額」とされないための判定要素
役員退職金のうち、税務上問題になるのは「不相当に高額な部分」です。法人税法施行令70条2号は、役員退職給与のうち不相当に高額な部分の金額は損金に算入できないと定めています。ここでいう「相当かどうか」を判断する際に照らすとされているのが、次の要素です。
第一に、その役員が法人の業務に従事した期間。長く経営を担った人ほど、退職金が大きくなること自体には合理性があります。第二に、退職に至った事情。勇退か、健康上の理由か、といった背景です。第三に、同種の事業を営み、事業規模が類似する法人における退職金の支給状況。同規模の医療法人でどの程度の退職金が支給されているか、という水準感です。功績倍率法は、この「同業類似法人の支給状況」を倍率という形で反映させようとする手法だと理解すると、位置づけが分かりやすくなります。
実務上、税務調査で退職金が問題になるのは、これらの要素に照らして説明がつかないほど突出した金額を、明確な根拠なく支給したケースです。逆にいえば、在任年数・最終報酬月額・功績倍率の根拠を書面で残し、規程に沿って算定していれば、金額が相応であることを説明しやすくなります。ここでも「算定候補としての金額」を持ったうえで、税理士に妥当性を確認してもらう姿勢が安全です。金額を先に決めてから理由を後付けするのではなく、要素を積み上げて金額を導く順序が大切です。
引退せず退職金を出す「分掌変更」の落とし穴
医療法人の承継では、「理事長を退いても、しばらくは診療や相談役として関わりたい」という声がよく聞かれます。完全に引退しなくても、地位や職務が大きく変われば退職金を支給できる余地がある——これが分掌変更による退職給与の考え方です。法人税基本通達9-2-32は、分掌変更等によって役員としての地位または職務の内容が激変し、実質的に退職したと同様の事情にあると認められる場合には、支給した金銭を退職給与として扱うことができるとしています。
同通達が挙げる代表的な例示は次の3つです。常勤役員が非常勤役員になったこと/取締役(理事)が監査役(監事)になったこと/分掌変更の後の役員給与がおおむね50%以上減少したこと。国税庁のタックスアンサーNo.5203でも同様の取扱いが示されています。医療法人でいえば、理事長を退いて非常勤の理事に退く、あるいは監事に移る、報酬を大きく下げる、といった変化が該当し得ます。
ただし、いずれの例示にも重い但し書きがあります。代表権を有する者や、経営上主要な地位を占めていると認められる者は除かれるという点です。肩書きだけ非常勤や監事に変えても、実際には引き続き資金繰りや人事などの重要な意思決定を握っているなら、「実質的に退職した」とは認められません。形式ではなく実質が問われます。さらに、通達は原則として未払金に計上しただけの額は退職給与に含まないとしており、「支給した」実態が必要とされる点にも注意が必要です。分掌変更を使う場合は、地位・職務・報酬の変化を実態として伴わせることが前提になります。
いつ損金になるか — 支給の時期と方法
適正額と支給の理由が整っても、「いつの事業年度の損金になるか」を誤ると、資金計画が狂います。役員退職給与の損金算入時期について、法人税基本通達9-2-28は、原則として株主総会の決議等によってその額が具体的に確定した日の属する事業年度とする一方、法人が実際に支給した日の属する事業年度で損金経理した場合にはそれも認める、という取扱いを示しています。医療法人であれば、社員総会・理事会での決議と、実際の支給のタイミングを、決算期との関係で意識して設計する必要があります。
大きな退職金を一度に支給すると、法人のキャッシュが一時的に大きく流出します。四病院団体協議会の2024年度調査が示すように赤字法人が多いなか、資金繰りに余裕のない法人では、支給が経営を圧迫しかねません。そこで分割支給を検討する場面もありますが、分割は損金算入の時期や退職所得としての扱いに影響し得るため、単純に「何回かに分ければよい」というものではありません。分割の可否・方法は個別性が高く、必ず税理士に確認したうえで、議事録や退職金規程と整合させて進めてください。
支給の原資も論点です。長年の内部留保で賄えるのか、金融機関からの借入や、承継に伴う対価の一部を充てるのか。退職金の額だけを先に決めて、原資の裏付けを後回しにすると、支給決議はしたが払えない、という事態になりかねません。金額・時期・原資の三点をセットで設計することが、実務では欠かせません。
準備の実務 — 規程・議事録・承継設計
ここまでを踏まえると、役員退職金は「引退が決まってから慌てて計算するもの」ではなく、あらかじめ土台を整えておくべきものだと分かります。準備の柱は3つです。
第一に、役員退職金規程の整備です。功績倍率や算定方法、支給の対象や時期をあらかじめ規程として定めておけば、支給の根拠が明確になり、「その場の恣意で決めた」という疑いを避けやすくなります。第二に、機関決議の記録です。社員総会・理事会での決議を議事録として正しく残し、いつ・どのように金額が確定したかを説明できる状態にしておくこと。損金算入の時期とも直結する重要な書類です。第三に、承継全体との一体設計です。役員退職金は、後継者への理事長交代、持分のある法人であれば出資持分の扱い、第三者へのМ&Aといった論点と切り離せません。たとえば承継の対価を退職金と持分の対価にどう振り分けるかで、法人・個人の税負担は変わり得ます。
医療法人の承継では、退職金・持分・報酬といった複数の資金の受け取り方が絡み合います。持分のある法人では、退職金とは別に出資持分の払戻しや譲渡が「みなし配当」等として課税される場面もあり、退職金だけを単独で最適化しても全体として不利になることがあります。だからこそ、退職金は税理士・司法書士など専門家や、中立の第三者を交え、承継の全体像のなかで位置づけて設計することをお勧めします。
まとめ — 適正額を「根拠を持って」決める
医療法人は剰余金の配当ができないため、経営者が成果を受け取る正規のルートは役員報酬と役員退職金にほぼ限られます。退職金は退職所得として税制上の配慮がある一方、金額が大きく、適正額を超えれば「不相当に高額な部分」として損金不算入となるリスクを抱えます。適正額の目安は功績倍率法(最終報酬月額×在任年数×功績倍率)で考えつつ、それが法律上の確定値ではなく、業務従事期間・退職の事情・同業類似法人の支給状況という要素で総合判断されることを理解しておく必要があります。
引退せず関わり続ける場合の分掌変更、損金算入の時期、支給の原資、そして承継全体との整合——役員退職金は、これらを一体で設計してはじめて安全に機能します。まずは自法人に役員退職金規程があるかを確認し、想定される最終報酬月額と在任年数を書き出してみることから始めてください。そのうえで、算定候補としての金額の妥当性と支給の時期・方法を、必ず税理士など専門家に確認することをお勧めします。適正額を「なんとなく」ではなく「根拠を持って」決めること——それが、法人と経営者双方を守る最善の道です。
よくある質問
Q1. 医療法人の理事長の退職金に、法律で決まった上限額はありますか。 「◯◯円まで」という明確な上限は法律にありません。ただし、法人税法施行令70条2号により「不相当に高額な部分」は損金に算入できず、業務に従事した期間・退職の事情・同業類似法人の支給状況などに照らして相当かどうかが判断されます。実務では功績倍率法を目安に算定し、根拠を書面で残すのが一般的です。
Q2. 理事長を続けながら退職金を受け取ることはできますか。 原則として、実質的に退職したと同様の事情がなければ退職給与として扱うのは困難です。法人税基本通達9-2-32は、常勤から非常勤への変更、理事から監事への変更、給与のおおむね50%以上の減少といった「分掌変更」を例示しますが、代表権を持つ者や経営上主要な地位を占める者は除かれます。肩書きだけ変えて実権を握り続ける場合は認められにくいため、税理士への確認が必要です。
Q3. 退職金はいつの事業年度の損金になりますか。 法人税基本通達9-2-28により、原則として株主総会の決議等で額が具体的に確定した日の属する事業年度が損金算入の時期です。ただし、実際に支給した日の属する事業年度で損金経理した場合にはそれも認められるとされています。決算期との関係で資金計画に影響するため、決議と支給の時期は事前に設計してください。
関連記事
- 医療法人の理事長交代の手続きと承継準備
- 後継者不在の病院がとれる4つの選択肢
- 医療法人の持分譲渡 完全ガイド
- 医療法人の出資持分払戻請求のリスクと対策
- 認定医療法人制度とは — 持分なし移行のメリットと注意点